ブッダをめぐる人びと(里中満智子、佼成出版社)をご紹介します。お釈迦様の時代に登場する人物のエピソード26話を漫画化したものです。仏教に詳しい人にはおなじみの説話です。ブッダ(仏陀)とは、「悟った人」という意味で、ゴータマ・シッダールタ=お釈迦様のことを指します。
本書は、人生の一切皆苦に悩む人々が、お釈迦様と出会い、仏教の真髄を理解して煩悩を消し去り悟るという説話を漫画化したものです。
「煩悩」は、毎話違うのですが、愛する人とシ別するとか、過去のつらい経験から心に深い闇を持つとか、尽きない人生の悲哀を、ブッダがひとりの人間として救いの手を差しのべるパターンです。
ただし、お釈迦様は「こうしなさい」「こうあるべきだ」と、特定の答えを押し付けるのではなく、ヒントを与えて、あとは本人に考えさせます。
そこが仏教の真髄です。
他の宗教は、神様を信じ、その教えを胸に落とし込むのですが、仏教は神様がいませんから、自分で考えるのです。
漫画26作と、巻末には仏教学者の菅沼晃さんと里中満智子さんの対談という形で、作品を振り返り解説しています。
ブッダは相手に気づかせる
漫画は、以前ご紹介したキサー・ゴータミーや、
スジャータの話も含まれています。
その中で、お釈迦様の時代の、サツ人鬼であるアングリマーラ(鴦掘魔=おうくつま=指を首飾りにする人)の話をご紹介しましょう。
アングリマーラは、本名をアヒンサカといい、コーサラ国の500人の弟子を持つ有名なバラモン教(ヒンドゥー教)の師のもとでまじめに修行に励む美男子僧でした。
アングリマーラが、師の夫人の誘惑を断ったために、顔を潰された夫人は、アングリマーラに誘惑されたと師へ嘘の告げ口をします。
カッとなった師は、「100人コロして指を切って集めると、お前のステージが上がる」などとデタラメを命じると、真面目なアングリマーラは本当に99人ヤッてしまいました。
そして、100人目のターゲットがお釈迦様でした。(アングリマーラの母親という説もある)
しかし、お釈迦様は、彼に慈悲の心を説いて、仏弟子として出家させました。
アングリマーラは、何しろサツ人鬼でしたから、出家後街に出ると、人々からの迫害を受けますが、それをじっと耐え、石を投げられ血まみれになりながら托鉢を続けます。
すると、一人の老婆が現れ、こう言います。
「あんたが真人間になるなら息子も浮かばれる。コロされるための人生だったとは思いたくないから。息子を含めて99人の命は、誰かを救うためにあったと思わせておくれ」
涙を流してうなずいたアングリマーラは、長い苦悩と反省を経て、最終的には悟りを開いたという話です。
この話は、仏教の教えによって、どんな罪人でも救われる可能性があることを示しています。
誰もが成仏できるという、浄土真宗の教えが記されている『歎異抄』にも出てくる話です。
巻末では、菅沼晃さんと里中満智子さんの対談という形で、作品を振り返り解説しています。
里中 たとえば、修行という目的のもと九十九人もの人を殺してしまったアングリマーラ(II章第一話)と関わるにも、ブッダは相手に気づかせるという姿勢を貫かれますね。相手は連続サツ人鬼ですから、彼以上に強い力で捕らえてナき者にしてしまえばそれで一件落着のようですが、それでは犯罪の芽は絶たれず、アングリマーラの心の闇も晴れることはない。ブッダは暴力を力で制するということはされず、アングリマーラ自身に己の愚かさを気づかせ、人間として立ち直された。ここまで到達しなければならいのではないかと思います。
菅沼 たしかにそうですね。善と悪をきっぱり分けて、悪いものは排除してしまえばいいという考え方はとても危険だと思います。だれの心にも煩悩がある、それを自らの中に認めなくなるということですから。ブッダは、煩悩ある身だからこそさとりを得られるのだとおっしゃった。
なにを話しているかというと、要するに、現代のネットでは、なにか事件が起こるとターゲットを叩く。そして叩いているものは正義づらする。
しかし、それでは根本的な解決にはならないし、叩かれている者も自分の愚かさに気づかない。
人間は煩悩だらけで、誰だって間違いうるじゃないか。
だから、事件に対しては、叩くことに熱中せず、事と次第によっては自分が犯人の立場だったかもしれないというふうに考えてみよ、といっているのです。
人間は誰でも間違い得る
私は以前から、「毒親」の記事をこのブログで書いてますね。
子供を虐待する事件があると、その時点で虐待をしていなくても、世の親は誰でもその犯人と紙一重ではないかと思い、運命の悪戯と言いますが、事と次第によっては自分がそうだったかもしれないなどと考え、ゾッとすることがあります。
ところが、ネットの叩き方を見ると、そういう親を鬼畜扱いして徹底的に非難するばかりで、自分はそんな鬼畜とは違うかのようにすましている人がいます。
そのくせ、その人は、我が子には手を上げている。
いや、自分の場合は良かれと思って叩いてしまったからいいんだと。
どこが違うんだ、いい加減にしろよって話です。
子への虐待は、最初から暴力を振るうケースもありますが、多くの場合、むしろ最初は、子に対して熱心で友好的なんです。
でも、誠実すぎるからこそ、「どうして自分の気持ちをわかってくれないんだ」となって、思わず手が出て、そこからエスカレートして虐待に繋がっていくのです。
ブッダの説話には、そんな現代にも通じる教訓を読み取ることができる、という話です。
マンガですから読みやすいですよ。
イソップ童話などと同じで、別に仏教の信仰者でなくても「気づき」を得られるのではないでしょうか。
作者の里中満智子さんは、少女漫画、少年漫画、歴史ロマン、ギリシア神話、オペラのコミカライズ、神道漫画など幅広く描かれていますから、仏教漫画もお手のものというわけです。
里中満智子さんの作品は、読まれたことありますか。
ブッダをめぐる人びと - 里中 満智子
カッとなった師
修行が足りない(・∀・)
by 赤面症 (2024-02-06 01:06)
手塚治虫先生のブッダは読んだ事ありますが、里中満智子さんも描いてたんですね。
水島新司さんと一緒に描いた野球漫画とかは昔読みましたが、面白そうですね。
ブッダは僕と誕生日同じだそうで、凄く親近感あります
(*´ω`*)。
by 萌田かずきち (2024-02-06 03:56)
おはようございます。
眼のメンテナンスしないと、本も読めなくなりそうです。
by YUTAじい (2024-02-06 05:27)
犯罪者全てが反省してくれりゃいいんだけどねぇ。
by pn (2024-02-06 06:14)
おはようございます^^
昔子供のころにはいくつか漫画が読んだことありますが、大人になってからは読んだことないです。
子供に手を上げる・・・わたくしはだいたい「悪戯するとお尻ぺんぺんするよ」と言っていました。実際何度か軽くたたいたことありますが、子供にはそれでも十分堪えていましたから、ひどく殴る必要はないですよね。
by mm (2024-02-06 06:52)
おはようございます!
お釈迦様をゴータマ・シッダールタって覚えてる
いつ教わったのか70歳過ぎてもちゃんと記憶してます。
by Take-Zee (2024-02-06 09:42)
>ブッダは僕と誕生日同じだそうで、凄く親近感あります
おお、これはすばらしいご縁ですね。
私が里中作品を最初に見たのは、少年マガジン(作品名失念)だったので、むしろ少女漫画作品を知ってびっくりしたぐらいです。ジャンルはオールラウンドですね。
by いっぷく (2024-02-06 09:50)
里中満智子さん、うーんと昔に漫画、読んでいました。
この作品は初めて知りました。
by AKAZUKIN (2024-02-06 12:28)
お釈迦様の仏像の前では心見透かされているようです。
by コーヒーカップ (2024-02-06 14:14)
100人目の指はたきつけた師だったら因果応報とも
言えたり・・・
by tai-yama (2024-02-06 23:06)