“蒙古の怪人”キラー・カーン訃報で自伝を振り返る [スポーツ]
“蒙古の怪人”キラー・カーンさんの訃報が話題になっています。昭和のプロレスで大活躍した日本人プロレスラー、キラー・カーンこと小沢正志さんが、29日に亡くなったことが30日分かったそうです。76歳でした。東京・西新宿で経営する「カンちゃんの人情酒場」の営業中に倒れた。カウンター席に腕を組んで座ったまま意識を失ったそうです。
キラー・カーン。ご存知ですか。
80年代のプロレスの本場、アメリカ・ニューヨークで活躍した元日本人レスラーです。
まだ働ける時期に引退して、飲食店を営んでいました。
わたし12/20にキラーカーンさんの店に伺ったばかりでした。
— ayami (@ayami) December 30, 2023
カーンさんも優しく話しかけてくれたりでここのお店で新しくプヲタ仲間できたばかりなのに。。
ご冥福をお祈りしますと知り合いでもないのにさすがにお伝えしたくなったしお姿お伝えしたくなったから投稿 https://t.co/exTwX37dmV pic.twitter.com/GtoK5K0BwV
日本のプロレス界で絶対的存在の力道山は、アメリカではロサンゼルスでしか通用しないローカルレスラーでした。
日本では、カリスマ的な人気を持ち、実力を評価されたアントニオ猪木も、実はアメリカでは、モハメッド・アリと戦ったこと以外はほぼ無名のレスラーと言わざるを得ませんでした。
では、アメリカで成功した日本人レスラーは誰かといえば、その先駆者は、1960年代のジャイアント馬場です。
そのジャイアント馬場が帰国して20年後のニューヨークに、チャンピオンと対等に渡り合える日本人レスラーがあらわれました。
リング上では蒙古人ということになっていましたが、キラー・カーンです。
ご本人の自伝、『“蒙古の怪人”キラー・カーン自伝』(辰巳出版)から見ていきます。
アンドレ・ザ・ジャイアント戦でブレイク
キラー・カーンこと小澤正志は、相撲界から1971年に日本プロレス入り。
しかし、入門直後の日本プロレス界はゴタゴタしていました。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場が相次いで離脱し、日本プロレスは崩壊間近でした。
若手の小澤正志は、ベテランレスラーの吉村道明の付き人をしていましたが、「馬場と猪木のどちらへつけとは言えないが、馬場のほうが人間味がある」と言われたそうです。
小澤正志自身も馬場と行動をともにしたかったそうですが、吉村道明引退後に付き人をした坂口征二が、アントニオ猪木が作った新日本プロレスに合流したために、成り行きで行動をともにせざるを得なかったと書いています。
ただ、アントニオ猪木には、「自分は無理だが、お前は体を大きくすればアメリカでトップを取れる」と言われたそうです。
そして、初の武者修行はメキシコへ。
テムヒン・エル・モンゴルという蒙古人のリングネームを名乗ります。
そこから会社には頼らず、フロリダ→ジョージア→ニューヨークと、各テリトリーでもまれてレスラーとして成長。
フロリダで、キラー・カーンに改名し、ニューヨークでは、大巨人のアンドレ・ザ・ジャイアントの足をへし折った男としてブレイクしました。
実際には、試合中のアクシデントで、しかも足は骨にヒビが入っただけで、アンドレからは、「ノープロブレム。これを因縁にして稼ごう」と言われたそうです。
長州力に嫌気がさして引退
あいつはプロレスラーの強さって何なのかをわかっていない 元プロレスラー キラー・カーン【後編】 https://t.co/4dtSTDlOEE @WEDGE_Infinityさんから
— 倉持 薫 (@l4ikwgs8) June 13, 2018
そんなキラー・カーンが、1987年に40歳の若さで突然引退します。
しかも、日本を希望しない妻子とは別居の形で帰国しました。
長年、プロレスファンの間でも、その理由は謎でした。
本書ではその真相を、長州力にあったと述べています。
キラー・カーンは、新日本プロレスが利益をアントニオ猪木の事業道楽に注ぎ込むことに嫌気がさし、「ガラス張りの会社を」と、長州力らと新会社・ジャパンプロレスに移籍。
提携していたジャイアント馬場の全日本プロレスのリングに上がりました。
ところが、キラー・カーンが渡米中に、長州力が新日本プロレスに勝手にUターン。
それが原因でジャパンプロレスは分裂し、そのまま崩壊します。
しかも、長州力は、契約中の全日本の試合をサボって、アントニオ猪木との水面下の交渉に熱中。
強引な移籍で、全日本プロレスや日本テレビに多大な迷惑をかけた上に、本人だけは多額の移籍料を得ていたことを知ってキラー・カーンは激怒。
「そんな奴と同じと思われたくない」と、レスラーをスッパリ廃業してしまったそうです。
以後、プロレス専門誌やテレビの取材を受けることはあっても、マットに再び立つことはありませんでした。
日本のマット界のゴタゴタがなければ、もっとのびのびとしたレスラー生活を送れたかもしれません。
しかし、別の見方をすれば、日本のマット界の居心地が悪かったからこそ、アメリカで頑張らねばという気持ちになリ成功したともいえます。
いずれにしても、脚色や、“自分だけが凄い”というジコマンのくだりは一切ない、実直な自伝です。
昭和プロレスファンは、とっくに熟読済みとは思いますが、関心のある方はぜひ本書をご一読ください。
合掌。
"蒙古の怪人" キラー・カーン自伝 (G SPIRITS BOOK)
なぜ、モンゴル人設定だったのだろうか・・・・
キラー・カーンが全日で戦っていたら、(レスラーが
少ないので)相当タフなレスラーになったいたかも(笑)。
by tai-yama (2023-12-30 19:54)
子供の頃普通に外国人と思ってましたf^_^;
同じと思われたくないって気持ちはよく分かる。
by pn (2023-12-30 20:49)
合掌
by 赤面症 (2023-12-31 01:18)
小学生のころ、母親がプロレスファンだったので、よく一緒に見ていました。子供ながらに、『モンゴルの怪人』を真に受けていましたが、悪役の中でも好きなレスラーの一人でした。今更ですが、当時のリング外でのご苦労は存じ上げませんでした。月並みですが、リングの内外にかかわらず、『武士道』と貫いたのではないか、と感じた次第です。『武士道』自体、死語ではありますが。
by kgoto (2024-01-02 09:06)