【誤用】四苦八苦 [仏教]

「四苦八苦」という仏教の言葉を日常的に使われていますか。ただし、これは「ものごとがうまくいかず切羽詰まった様子」という意味ではありません。仏教は、人生は一切皆苦といいますが、必ず避けられない苦しみがあると教えており、それが「四苦八苦」なのです。
先週は、「他力本願」という言葉が、仏教(浄土真宗)の言葉であり、本来の意味と違う使われ方をしていることを書きました。
浄土真宗のお寺にはどうして #御朱印 や #写経 がないのか。浄土真宗は「お寺に行きました」「お経をせっせと筆写しました」という行為を成仏する要件としていない。#浄土真宗 は他力本願の宗派だから。しかし、この #他力本願 という言葉が巷間誤解・誤用されまくっている https://t.co/7XTqWL0FjC pic.twitter.com/cpEBg4BkbW
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) November 20, 2023
「他力本願」とは、「私がひとさまの力をあてにする」という意味ではなく、「阿弥陀如来が私を成仏させてくださる」という意味です。
どう違うか。
1.「他人の力」ではなく、「如来の本願力」である
2.自分が主体となる「はからい」ではなく、阿弥陀如来が主体である
仏教は、煩悩に満ちた心を改めることを目指していますが、人間は清らかな心ではないから、凡夫が悟りを開く事など容易なことではない。
さすれば、自分で苦行などせず、阿弥陀如来にお浄土に連れて行っていただこうというのが浄土真宗の教えです。
その際、わざわざ自分が、阿弥陀如来を「信じる」という“はからい”をしなくても、阿弥陀如来が全面的にはからってくれるということです。
簡単に述べると、自分が「阿弥陀如来を信じる」という行為をしていても、実はそれすらも阿弥陀如来のなさしめたもうたものだと味わうのです。つまり、「信じる」の主体は私ではなく阿弥陀如来なのです。阿弥陀如来が信じさせてくれるという理屈なのです。
浄土真宗の言う「他力」とは、そういう意味なのです。
日常的に使われる「他力本願」とは、「ひとさまの力で物事をなすことを企図する」ということですから、「私」がひとさまを「あてにする」、もしくはひとさまに「願う」わけです。つまり、ひとサマを頼るという自分からの思議、判断、願いと言った“はからい”が主体ですから、「なさしめてくださること」とは違います。
ですから、比喩としても「ひとさまの力(を頼る)」という使いかたとしての「他力本願」は適切ではない、ということなのです。
ちょっとむずかしい話ですよね。むずかしいときは、使わない方がいいということです(笑)
で、今回は第二弾で、「四苦八苦」です。
こちらも、仏教の言葉ですが、微妙に違った使われ方になっています。
自分ではどう頑張ってもどうにもならない「苦しみ」
一切諸行皆悉是苦
すべての物事は常ならざるものである。 すべての物事は 我( が )ならざるものである。
これは、人生は自分の思いどおりにはならないということを示していますが、仏教では一切皆苦などと言います。
とくに自分ではどう頑張ってもどうにもならない「苦しみ」があります。
「四苦八苦」(しくはっく)とは、仏教におけるそうした人間の苦しみを表す言葉なのです。
この言葉は、「四苦」と「八苦」から成り立っています。
「四苦」とは、人間として逃れられない4つの苦しみ、「生・老・病・死」のことを指します。
「八苦」とは、上記の4つに加えて、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の4つの苦しみを指します。
「愛別離苦」は、愛する人や物と別れることによる苦しみです。例えば、死別や離婚、失恋などがこれにあたります。
「怨憎会苦」は、嫌いな人や物と出会うことによる苦しみです。例えば、敵対者やライバル、嫌な仕事や環境などがこれにあたります。
「求不得苦」は、欲しいものが手に入らないことによる苦しみです。例えば、金や名声、健康や美貌、理想の相手や状況などがあたります。
「五蘊盛苦」は、自分の心や身体が思い通りにならないことによる苦しみです。例えば、感情や思考、記憶や知識、感覚や行動などがこれにあたります。
仏教は、なぜこうした苦しみが起こるのかという解決を示しています。
そして、苦しみの原因である執着や煩悩を見つめ直し、自分の心を変えることだとしています。
「四苦八苦」は、仏教の教えを知ることで、より深い意味を理解できる言葉ですが、現代では、一般的に「非常に苦労すること」「苦しみ悩むこと」という意味で使われていますね。
「慣れない仕事に四苦八苦する」
「彼が四苦八苦している姿を見て、思わず手助けしてしまった」
「子どもたちが四苦八苦しながらも頑張っている姿に感動した」
等々……。
四苦八苦とは人生の根源的な問題
本来は、巷間使われているような「ものごとがうまくいかず切羽詰まった様子」ではなく、もっと人生の根源的宿命的な苦しみを示しているのです。
まあ、こちらは「他力本願」ほどかけ離れた使いかたではないので、比喩としては私は許容範囲、使うことで本来の意味や意義を根本的に損なうとまでは思わないですけどね。
ただ、たんに苦しい、大変と言うだけなら、「苦闘」とか「苦悩」とか「七転八倒」とか「千辛万苦」とか「艱難辛苦」などの方が適切かもしれません。そのへんは状況に応じて使い分けると良いでしょう。
しかし、そうなると「四苦八苦」という言葉を、安易に使わないように「四苦八苦」してしまいそうですね。
おっと、これも誤用でした。

気になる仏教語辞典: 仏教にまつわる用語を古今東西、イラストとわかりやすい言葉でなむなむと読み解く - 弘潤, 麻田
2023-11-26 01:00
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コメント(7)
仏教は難しくて四苦八苦します…ってこれも誤用か(゚∀゚)
by 赤面症 (2023-11-26 01:16)
なんかすごく勉強になりました!
by 風の友 (2023-11-26 01:59)
おはようございます!
よくTVなどでも放送されてますが・・・
慣用句や四字熟語になんと誤用の多いことか。
by Take-Zee (2023-11-26 09:21)
仏教用語が民間で使われて
本来の意味と変わってしまっていることは
たくさんあるでしょうね。
漢字でも読みが違ったり、画数が違ったり
by そらへい (2023-11-26 09:31)
四苦と八苦足して十二苦の辛さでは無いんだ。
by pn (2023-11-26 10:08)
自分には苦が山ありそうですが、苦のぜんぶを
まとめると八苦しかないということですか。
だいぶ気が楽になりました(^^
by プー太の父 (2023-11-26 13:27)
前の四苦は避けられないけど、後の四苦は避けられる
(可能性)があると。「七転八倒」は「七転八起」と
間違える人も多そう(笑)。
by tai-yama (2023-11-26 22:38)