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『クロスロード』(鎌田敏夫、角川書店)で考える「人間の幸せ」 [仏教]

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クロスロード (鎌田敏夫著、角川文庫) は、高校時代の同級生9人が、1年に1度、思い出の橋で会う約束をして、10年後までを描いた小説です。『飛び出せ!青春』『俺たちの旅』『金曜日の妻たちへ』など、友情や生きる意味、悩み、喜びなどを活写したドラマの数々を思い出します。

鎌田敏夫さんといえば、私の世代ではもう、ネットの世界で言うネ申みたいな作家です。

青春ドラマのヒットを何本もリリースした方です。

青春ドラマと言っても、学園ドラマに限らず、人生そのものが青春である、として、友情や恋愛や恩讐など負の部分までも含めて人の関わり方、そうせずにはおれない、そう感じずにはいられない思いを赤裸々に描いた作風でお馴染みです。

『飛び出せ!青春』『俺たちの勲章』『俺たちの旅』『過ぎし日のセレナーデ』『金曜日の妻たちへ』『男女七人夏秋物語』『男たちによろしく』……挙げたらきりはありません。

まあ、私の人格、梶原一騎イズムと鎌田敏夫イズムの影響は否定できないですね(笑)

その鎌田敏夫さんは、シナリオライターの仕事だけでなく、作家活動も行っており、テレビドラマに発表していない、書籍だけの創作物というのがあります。

本作『クロスロード』もそのひとつです。



いい話ですが、ドラマ化されていないので、本を読むしかないのです。

平凡に生きるには、才能がいる


24歳の夏。

通学路に同じ橋を通った高校の同級生10人のうち、地元の短大を出て保母になった弥生が早逝しました。

葬儀に集まった9人。

「一年に一度、ここで会わないか?弥生が会わせてくれたんだから、一年に一度、この橋で会おうよ」

橋の上での会話は、「この橋の上でなら全てをさらけだせる」という思いで、彼ら9人は自分の「今」と、そこに関連する「過去」を打ち明け合います。

恋、結婚、仕事、不倫、挫折など、その年代らしい出来事を経験し、高校時代と同じままではなくとも、橋の同窓会を、その「人生の句読点」として心の支えにしているのです。

24歳~33歳までの「句読点」を、毎年毎年10年にわたって描いていきます。

前野という主人公は、高校時代はサッカー部の安定感あるゴールキーパー。勉強もそこそこ出来て地方の国立大学工学部に入り、大阪のそこそこ大きな会社に就職。実家もそこそこ大きな酒屋で、親に言われると後をついで見合い結婚と、もっとも破綻のない人生を歩んでいます。

他の9人は、メンバー同士で同棲したり、配偶者がいるのに不倫したりと、まあお盛んなんですが、主人公の前野だけは、それが全くありません。

そうしているうちに、年々、橋に来るメンバーも減り、10年目に橋に来たのは、主人公の前野と、前野が密かに憧れていた伸子だけになりました。

伸子は、老舗の菓子屋の娘ながら、「普通に」家を継がずに東京の名門女子大に入り、離婚してまで仕事を選び、広告で賞を受賞するなど、もっとも華やかな仕事をしていました。

今回も、アトランタに行く仕事が決まっていましたが、もし前野が好きだと言ってくれたら、それをやめて日本に留まりたい、という意志を示しています。

それに対して、妻子のいる平和な暮らしをしている前野は、何と言ったか。

「世の中には、二種類の人間がいるって、おれは思っている。幸せだけで生きていける人間と、幸せだけでは生きていけない人間と」「幸せがつづくと窒息しそうになる人間だよ。……」

「幸せだけだと窒息しそうになる人間。通りいっぺんの幸せでいいなら、きみは、とっくにそれを掴んでいる」

「きみは、幸せよりも、もっと激しいものを追い求めていく人間だよ。近くのものではなく、遠くにあるものを掴んでいこうとする人間なんだよ」

「前野くんは、どっち?」

「おれは幸せだけで生きていける人間なんだ。だから、さっさと見合い結婚をした。きみに対するあこがれを、心の奥にしまい込んで」

本当は前野は、この10年間、彼女がどんな服装で「橋の上の同窓会」に来たかまですべて覚えているほど、彼女こそが理想の女性であり、今も夢中なのです。でも、前野は家庭を守ることを選択します。

前野は、自分の生き方を、「やるべきことをする人間ではなく、できることをする人間」と表現しています。

理想や目標を打ち立て、もしくはそれらしきものがあったらそれに向かって進むのではなく、目の前の課題を確実に処理する人生、ということのようです。

つまり、たとえ理想の女性が伸子であっても、目の前に、お見合いがあり縁あって結婚したら、その幸せな結婚生活を守るのが自分の人生、ということです。

人生は守るのか攻めるのか。

まさに、生き方の分かれ道は、そこにあるといっていいかもしれません。

前野の生き方は、女性たちからこう評価されていました。

『平凡に生きるには、才能がいる』

守る方が難しいのかもしれませんね。

理想や目標に引っ張られて、目の前の確かな幸せをご破産にしてしまう人が、どれだけ多いことか。

他のメンバーは、大なり小なり、そういう「冒険」で人生の陰翳を作っている。

でも、前野だけはそうではない。前野だけは幸せな家庭生活を営んでいる、という話です。

幸せは日常にあるのか、高みを目指すところにあるのか


自分にやってくる「運命」をきちんと受け止める人生。(前野型)

多少痛い目にあっても、自分で決めた道を進もうと「運命」を変えようとする人生。(伸子型)

お釈迦様原理主義ですと、物欲も出世欲も煩悩になるのですが、30代ですべてを捨てよというのは現実的ではないので、生き方そのもので見れば、どちらでも、本人が決めたならそれでいいと私は思います。

人によって「ほしのもと」も違いますしね。

前野も伸子も、育ちがいいですが、めぐまれない「ほしのもと」に生まれたら、自分で人生変えなきゃしょうがない、という場合だってありますから、「運命」を変えようとすることが悪いとは言えません。

このように、人間は、日常の成り行きから幸せを得ることもありますが、同時に「もっとこうなりたい」「自分自身を高めたい」という欲求を持つこともあります。

ただいずれにしても、「因」と「縁」で結果が生じる。つまり哲学では「必然」と「偶然」によって結果が生じることは変わりがないこと。

つまり、どんなに努力しようが「人生のすべてをコントロールすることはできないもの」という見定めだけは忘れないこと。

ですから、たとえ前野のように生きていたとしても、何らかの不幸や破綻は有り得るということです。

つまりどちらであっても、未来が保証されているわけではない。

それでもよければ、どちらでも選べば良い。選択に正誤も善悪もない。ということだと思います。

いうまでもないですが、親とか上司など周囲の人が、それを邪魔してはいけないんですよ。

歳を取ってから人生を振り返って、「あれは痛恨の誤りだった」ということがあったとしても、そういう「思い出」がある事自体、その時代を生きてきた証になります。

毒親の干渉は、そういう経験を取り上げることになるのです。

人生は、失敗するのも、後悔するのも、またそれらを回避するのも、すべて本人の権利だと思うのです。

当たり前だと思うかもしれませんが、そういう「自分軸の生き方」って、意外とできていないことが多いですよね。

さて、みなさんは、前野と伸子の、どちらの人生観をお持ちでしょうか。

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赤面症

伸子の人生こそ、あるべき生き方って結論かと思ったが..
by 赤面症 (2023-06-18 01:22) 

コーヒーカップ

自分は伸子の人生型に近いのかなと思います。
平凡を守るって結構きつくて我慢の連続のように感じます。
家庭もってからも「ああしたい、こうしたいって」思いました。

by コーヒーカップ (2023-06-18 04:50) 

pn

どっちにせよ大変だと思うな、守も攻めるもその時々の環境で変わるだろうし。
人生の最後にあれもしたかったこれもしたかった、けど幸せだったな。か、あれもしたこれもした、もういいかな。か。
けどしたかったから後悔して死ぬかもだしもっとしたいと後悔して死ぬかもだし。
答えは最後に出るのかな?
by pn (2023-06-18 10:22) 

色即是空

成り行きに逆らう生き方を認めていないのは仏教ではなくキリスト教です。キリスト教は運命を生れた時に神様がお決めになることになっています。したがって病気になって死ぬのも、事故で死ぬのも、殺されて死ぬのも、すべて神様がお決めになった運命ということになります。そして運命を変えることができるのも神様だけです。神様が奇跡を起こされた時だけ運命を変えることができるのです。九死に一生を得たとき、キリスト教徒は神様が奇跡を起こされたので助かったと考えますが、仏教は運命は変えられるという考え方なので日本人は「運が良かった」という言い方をします。その後に必ず「日ごろの行いがいいから」と付け加えます。

キリスト教は自分で運命を変えることはできませんが仏教は運命を変えることができると考えています。その理由は運命の元になる原因はすべて自分が作っているという考え方に基づいているからです。生まれる環境やどういう親の元に生まれるかが決まることを宿命と言います。宿命は変えられないが運命は変えられるというのが仏教の考え方です。

キリスト教は人生の始まりも結果も神様によって決められていますが、仏教は始まりは決まっているが結果は決まっていません。前世にどんな生き方をしたかによって生まれる場所が決まると考えられています。たとえば金持ちの家に生まれるか貧乏な家に生まれるかで運命は違ってくるはずです。仏教は前世の生き方(宿業)によって生まれてくる場所が決まります。それが宿命です。宿命とは命に宿っているという意味で親から受け継いだ遺伝子や親を含めた生活環境など生まれた場所のことです。宿命は生まれるときに決定付けられているので変えられないが運命は変えることができるというのが仏教の考え方です。生まれた環境の中でどういう生き方をするかで運命は変わるということです。

日本海の荒波に揉まれ、何度も行く手を阻まれた鑑真和上。大乗戒の道場を願って、遂に生前には叶わなかった伝教大師。念佛は堕落した教えとして弾圧された法然上人。蒙古侵略の危機迫る中、立正安国を唱えたが為に斬首の危機にあった日蓮聖人。全国統一を目指した動乱の時期、佛教共同体を作り上げようとした浄土真宗門徒。
不受不施義を全面に唱えたがために、弾圧された日蓮宗。
運命を変えたからこそ仏教の歴史もあります。
by 色即是空 (2023-06-18 14:07) 

いっぷく

宿命=運命ではないのはそのとおりだと思います。

それはそれとして、仏教は「因」(必然)と「縁」(偶然)で物事が起こるといいますが、ではその「縁」は、「いつ」「なにがきっかけで」「どういう根拠によってどういう規模で」起こるのかが私には大いなる疑問です。

これは、科学も、哲学も、宗教も答えを出してくれないのです。

これがわかったら、ノーベル賞どころではないでしょうね!
by いっぷく (2023-06-18 17:31) 

tai-yama

守るばかりの人間だったら会社は成り立たないと・・・
経済活動と実際の欲求に対する差分はどうしようも
ないですね~。
by tai-yama (2023-06-18 23:22) 

そらへい

今なら前野ですが
若い頃は伸子でしたね。
長いと両方楽しめます。
by そらへい (2023-06-21 15:31) 

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