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『目撃者はいなかった』(芦沢央著、新潮社)で考える仏教的悪人 [仏教]

『目撃者はいなかった』(芦沢央著、新潮社)で考える仏教的悪人

『目撃者はいなかった』など、超弩級どんでん返しミステリー小説5編が収録された『許されようとは思いません』(芦沢央著、新潮社)が話題です。決してハッピーエンドではないのに読者を惹きつける魅力がある“イヤミス”のストーリーを堪能できます。



『許されようとは思いません』は、芦沢央さんが新潮社から上梓したミステリー小説群です。



次の5編が収録されています。

目撃者はいなかった
ありがとう、ばあば
絵の中の男
姉のように
許されようとは思いません

今日は、『目撃者はいなかった』をご紹介します。

目撃者はいなかったのあらすじ


資材卸会社のサラリーマン、葛木修哉は、入社3年目。

ある日、自分でも知らないうちに営業成績のグラフがぐんと伸びています。

「何かの間違いでは?」

同僚からおだてられて、さすがに悪い気はしなかったのですが、発注書を見てびっくり。

同じ発注書を、重複して発行していたのです。

本来は35000円の注文が、なんと35万に。

やっぱり「何かの間違い」でした。

さて、どうするか。

そこで謝ってしまえば、そのミス自体は咎められるかもしれませんが、そこで話は終わります。

しかし、それを止めないと、発注元の製材会社にも、運送会社にも、クライアントにも迷惑をかけることになるでしょう。

葛木修哉は、最初は発注元の製材会社に電話を入れます。

しかし、正直にすべてを話せず、曖昧に探りを入れる様な聞き方をしてしまったため、相手はすぐに電話を切ってしまいます。

葛木修哉は、その時点で、取引先からごまかすことができなくなります。

その時思ったのは、「訂正しようとしたのに、(電話を)切られてしまったからできなかった、だから仕方なかった」という、言い訳による自己正当化でした。

傍から見れば、「だから、何?」です。

「~だから仕方なかった」かどうか知りませんが、ミスはミスです。

これ、他者にも自分自身にも言い聞かせる、定番の言い訳です。

あなたも、自分に言い訳すること、ありませんか。

それはともかくとして、葛木修哉は、もみ消しのために運送会社に自分で資材を取りに行き、自腹を切って注文代金を支払います。

そして、発注先に運送会社の社員を装ってクライアントに正しい発注数を届け、事を済ませました。

しかし、嘘を取り繕うための嘘は、破綻するもの。

そこで、想定外の出来事が起こります。

葛木修哉は、発注先で、交通事故、しかも片方が死亡する衝突事故を目撃してしまいます。

一方が信号無視して、普通に運転してた自動車と激突して、普通に運転していた人が死んでしまったという事故でした。

葛木修哉が、唯一の目撃者だったのです。

警察はその事故について、甘い捜査をしたため、死亡した被害者に過失があると誤った判断をしました。

本当は加害者である人が、自分は悪くない、死亡した人のほうが信号無視をしたと言ったのです。

死人に口なしなので、亡くなった人は何も言えません。

葛木修哉は、事故の真実を明らかにすべきかどうか、大きな葛藤を抱えることになります。

そこにいなかったことにしてとぼけていれば、自分の仕事の失敗の隠蔽工作は完結しますが、事故の真実は葬られてしまいます。

だからといって証言すれば、事故の真実が明らかになるだけでなく、自分の真実まで明らかになってしまいます。

葛木修哉は、こう考えます。

「とぼけていよう。そこにはいなかったことにしよう」

ところが、死亡した被害者の妻が、真相を尋ねに葛木修哉に会社まで会いに来てしまいました。

さて、どうなるか。

ミステリー小説なので、ネタバレは慎み、これ以後は、本書をお読み頂ければと思います。

「いい人」こそ「弱い人間」であり「悪人」である


『目撃者はいなかった』の何が肝かというと、人間の弱さです。

ちょっとしたミスをして、その場で謝罪してしまえば済むものを、そうしなかったばかりに傷口はもっと大きくなってしまう、という話です。

といっても、主人公は、生来の嘘つきでも悪人でもないのです。

そもそも最初は、その間違いについて訂正しようとする意志すらあったのです。

ところが、その際のやりとりで訂正する機会を失うと、今度は一転して自分を守る方針に切り替える。

「訂正しようとしたのに、(電話を)切られてできなかったから仕方なかったのだ」と、自分自身にすら言い訳をこしらえ、自己正当化をはかってしまうのです。

煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし。清浄の心なし。
濁悪邪見のゆえなり。(尊号真像銘文)

自分勝手で傲慢(煩悩具足)な大衆は、そもそも真実で清らかな心などないのだ。

ちょっとは良い心を持っていると思うのは、思い上がりだ、という親鸞の教えです。

なんだか、あんまりな言い方に聞こえますが、「濁悪邪見」というのは、私たちが考える「悪人」とは少し違い、煩悩を捨てられない脆弱で矮小な人、という意味だと思います。

ここでいう煩悩とは、「他者からは過失や落ち度はないように見られたい。他者からそれを指摘されるのが怖い」と自己防御にびくびくしている心理です。

そういう人は、普段は別に悪いことはしないんだけれども、何かモメごとが生じると、自分が悪人にならないよう、状況によって態度を変えたり(寝返ったり)、嘘をついたり、誤魔化したりする人です。

むしろ、普段は「いい人」といわれることが多い。

親鸞は、そういう人を「濁悪邪見」の悪人といっているのです。

「性悪説」ではなく、「性弱説」といったところです。

日本人に、当てはまる人はたくさんいそうな気が……

こういう人っていませんか。もしくは身に覚え、ありませんか。

Amazonの販売ページには、『目撃者はいなかった』についての冒頭ダイジェストが紹介されています。

実用書や漫画中心の読書生活でしたが、久々のミステリー小説はなかなか味わい深いものでした。

みなさんも、興味がありましたらどうぞ。

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赤面症

された経験もした経験も・・・あり
by 赤面症 (2023-06-16 01:06) 

我流麺童

このミステリー小説が読みたくなった紹介記事でした。
by 我流麺童 (2023-06-16 06:35) 

pn

主人公よか加害者の嘘が許せないなぁ。死人に口なし、バイク乗りとしては事故った時意地でも死ねないなやっぱ。
by pn (2023-06-16 07:32) 

コーヒーカップ

元気だったころの働いている夢を見ますが
こんな感じの自分が困る夢で目覚めたとき気分が悪いです。
by コーヒーカップ (2023-06-16 09:11) 

そらへい

凶悪犯や異常者が起こすミステリーではなく、
今そこにある人、誰にでもある心理などをついて
描かれているミステリーは面白そうです。
最近、ミステリーあまり読んでいませんが
読んでみたくなりました。

by そらへい (2023-06-16 10:52) 

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