今週の『NHK HUMAN』は、2016年暮れの『NHK障害福祉賞』最優秀作に選ばれた「ヘン子の手紙 伊藤議代さん」がタイムラインに流れてきたのでシェアします。発達障害で周囲からヘン子と呼ばれた伊藤議代さんと定型(健常)の夫との話ですが、美談ではあるけれどもそれだけでなく留保もつけたいと感じました。
あらすじ
妻の伊藤議代さんは、幼い頃“ヘン子”と呼ばれ、他人に理解してもらえない自分の行動に苦しみました。
それは後に、発達障害であることがわかりました。
夫の秀和さんとは、出会って2年で結婚。
しかし、誕生した長男と長女は自閉症。
伊藤議代さんはそのこととどう向き合っていいかわからずうつ病が悪化し、子供と実家に帰って夫に離婚を求めます。
しかし、夫の秀和さんは、「居場所が(実家の他に)もうひとつあってもいいんじゃないか」と、自分は食事もできないくらい苦しんでも、一人でじっと帰りを待ちながら、お互いの気持を手紙で辛抱強くやり取りした結果、伊藤議代さんは気を取り直して元の鞘に収まった、という話です。
まあ、めでたし、めでたしなわけですが、みなさんは
率直な所、どう感じられましたか。
私はこれまで、「
障碍者の自己実現」について何度も記事にしてきましたが、
感動ポルノのつもりはないので、「障碍者」ではなく、あくまでも主題は「自己実現」の方でした。
つまり、障碍者のことなら絶対的に何でも素晴らしい、ウエルカム、という立場とは微妙に違います。
ということで、今回のように、障碍+うつ病の妻のために耐えた夫は立派だ、という動画は正直、賛同には少し留保をつけたいと思います。
私は、これは、伊藤議代さんも大変だったでしょうが、夫の価値観(優しさと忍耐)によって成立した“美談”であり、夫ならこうあるべきだとまではいえません。
たとえば、どうして夫には落ち度がないのにそこまで我慢しなければならないのか、自分は夫の立場にはなりたくないな、と思った人がいても、それを誰が責めることができるでしょうか。
夫婦としてはすばらしい結末ではありますが、あくまで「こういう夫婦もある」であり、「こうあるべきだ」とまでは言えないのではないか。
同じ立場で秀和さんのようにできなかったとしても、それは責められるべきことにあたるのだろうか、という素朴な疑問というか反問も正直感じました。
破談は理由のいかんに関わらず「内心の自由」ではないのか
なぜそんな水を差す反問を感じたかというと、以前Facebookのあるグループで、以下の記事が話題になったことがあったのです。
二十歳になる君へ(角岡伸彦五十の手習いフリーライター奮戦&炎上記)
https://kadookanobuhiko.tumblr.com/post/189379501304/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E6%AD%B3%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%90%9B%E3%81%B8
フリーライターの角岡伸彦さんは被差別部落の出身で、実兄が婚約者にそれを告白したところ、結果的に破談になったことがあるという話が書かれています。
Facebookの投稿者は、「そんなことで結婚をやめるような人は、幸せになんかなれない」と、角岡伸彦さんの実兄の相手を非難しています。
これ、
ありがちな非難ですよね。
でも、間違ってると思いますよ。
破談はたんに、しょせんその関係がそれだけの気持ち(ご縁)しかなかっただけのことです。
相手にだって人生設計があるのです。
なのに、断った相手に「お前なんか不幸になれ!」と言わんばかりのエゴイスティックな断罪の気持ちを抱くことこそ、人としてはあるまじき貧しい感情であり、自ら幸せを遠ざけるものだと私は思います。
結婚の本質は、当事者の価値観ですから、「被差別部落の出身」であろうがなかろうが、結婚するときはするし、まとまらないときはまとまりません。
現に実兄は、その後結婚したと書いてあります。
どんな人と結婚したいか、またしたくないかは、人間にとって究極の「内心の自由」ではないでしょうか。
「被差別部落の出身」に限らず、「障碍者」「悪ルックス」「認知症の親あり」の人とは、家庭生活を営む自信がない、といわれて破談したとしても、それはそれで、仕方ないのではないでしょうか。
もちろん、それを「ヘタレ」と思う自由はありますし。
少なくとも、同情や「社会正義」のような御旗を振りかざして結婚するほうが、よほど差別の裏返しだし長続きもしないでしょう。
弱者だから人生を犠牲にして奉仕することがいいわけではない
冒頭の動画に、なぜ角岡伸彦さんの話を結びつけたかと言うと、伊藤議代さんの夫の秀和さんの包容力や理解をもって、
障碍者とのご縁はすべてに目をつぶって結婚してすべてを受け入れるべきである、という「道徳」的結論に簡単に向かないで欲しいと思ったからです。
あくまでもこれは、夫の秀和さんの生き方なのです。
結婚は個人的な選択ですから、相手に障碍があったら苦労しそうだから嫌だという人もいれば、苦労することがわかってても飛び込まずにはおれないこともあるでしょう。
途中で離婚という形で「脱落」したとして、評価は色々あってもそれもまたひとつの選択ではないでしょうか。
障碍者に対する社会的な理解&支援と、結婚における個人の自己実現は別のものであり、まるで人生を捧げきれない理解&支援は差別だ、というような社会の空気になることは、決して障碍者が対等な立場で生きるインクルーシブな社会には資さないと私は思うのです。
私の書いていること、何か変でしょうか。
ちなみに、妻の「ママ友」には、子の障碍が遠因で離婚している家庭が複数ありますが、「これからの生活大変だろうねえ」とは思うものの、「そんなときこそ夫婦が力合わせるべきだろう」などと居丈高に綺麗事で非難する気にはなれません。
障碍がある子どもを育てることが大変なのはよくわかっているから。
発達障害と結婚 (イースト新書) - 吉濱ツトム
旦那側をもっと掘り下げてこそこの物語は完結するような。
by pn (2020-01-30 15:07)
ハッピーエンドかもしれませんが、これはあくまで夫の桁外れの愛情や忍耐力のなせることであり、「障碍者とご縁があったらこうあるべき」と美談化、モデル化する意図が制作側にあるならばちょっと違和感があります。
そんなことしたら、健常の人はみんな引いてしまうし、同情や倫理で強制することは、真の意味での対等の関係とは言えません。
障碍者との結婚なんて大変そうだから嫌だよ、という内心の自由はあって当然です。むしろそれがあるからこそ、障碍者と添い遂げる関係は本物の愛情なのだと思います。
by 犬眉母 (2020-01-30 15:18)
全盲の人で見えない事も個性だと言われるこたがいらっしゃいます。
其れを素晴らしいと受け止めるだけでは済まない気がします。
by lamer (2020-01-30 16:08)
健常者であっても、人生を生きることはある意味たいへんなことです。「結婚とは、自分の人生に相手を巻き込むこと」と誰かが言ってました。相手が誰であろうと、自分がしっかりしないとパートナーに迷惑がかかりますね。
by レインボーゴブリン (2020-01-30 16:29)
美談は自主的に行うもの。強制するものではありません。
愛情問題ならなおさらです。
考えさせられます。
by skeptics (2020-01-30 17:05)
涙が出てしまいましたが言葉はすぐに出ません。
自分に置き換えたりするとまったく・・・・
今後も何度も何度も困難が続くかも知れないな、と思ってしまった私自身も嫌になるくらいつらい・・・・
ことば、詰まりました。
by HOLDON (2020-01-30 17:20)
子どもが二人自閉症というところで、それ以上読むに耐えません。
by ヨッシーパパ (2020-01-30 18:56)
こんにちは。
「夫の価値観・夫婦の価値観」で成り立つ話ですね。これが「正しいあり方」「こうあるべきだ」の制作はあっても良いですが、違う選択もあるのが現実です。力を合わせて障害者の子供を育てている人を知っていますが、心を分かち合える仲間に助けられているみたいです!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2020-01-30 19:10)
難しいテーマですね。家族に障がい者がいる事で家族内に亀裂が入ることは容易に想像が出来ます。逆にお互いに助け合う気持ちが生まれて家族の絆が深まることもあるのではないでしょうか?
by エンジェル (2020-01-30 23:37)
単なる美談で終わらせてはいけない問題ですね。
by ナベちはる (2020-01-31 00:37)
離婚されるカップルも普通にいるこの世相に、よくぞ辛抱強く待たれたものですね。
幸せな家庭ですね。
by ヤマカゼ (2020-01-31 07:04)
この旦那様は、奥様やお子さん達の障がい云々抜きで純粋に家族として生きて行きたいと思っていらっしゃるから、こうして忍耐強くなれるんですよね。
そういう気持ちは健常者・障がい者という枠は関係ないのかなと思いました。
by Rinko (2020-01-31 08:36)