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益田喜頓さん、先進的ボードビリアンから名バイプレーヤーへ

益田喜頓さん、先進的ボードビリアンから名バイプレーヤーへ

益田喜頓さん(ますだきいとん、1909年9月11日~1993年12月1日)の生まれた日です。三大喜劇王の一人、バスター・キートンをもじった芸名で60年近く活躍しました。戦前は、あきれたぼういずというグループで一斉を風靡。エッセイ集や短編小説集なども上梓されています。(画像はGoogle検索画面より)



益田喜頓とは


益田喜頓さんは戦前、あきれたぼういずという、替え歌やパロディーなどのボードビリアンとして活躍。

「小さいころに家が倒産し、父が蒸発した。悲しいことが多かったので、喜劇映画を見てはバスターキートンのまねをして母や友達を笑わせたのが喜劇俳優としての出発点だった」(https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010110_00000)といいます。

以前ご紹介した、坊屋三郎さんや山茶花究さんたちも一緒でしたが、もちろんその全盛の頃を私は知りません。

Youtubeで確認しましたが、あきれたぼういずは、その後の、かしまし娘や玉川カルテットのモデルになっているのではないでしょうか。

その時代に生きていないと、時代背景がわかりにくいですが、戦前にそうした芸を披露していたのは、「お笑い」であるとともに、かなり先進的でハイカラなキャラクターとして人気があったのではないかと思います。

戦後、グループを解散すると、それぞれ俳優としての活路を見出しました。


私が以前、ご紹介した映画やドラマでは、次の作品に出ています。

コント55号と水前寺清子の神様の恋人


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コント55号と水前寺清子の神様の恋人』(1968年、松竹)は、当時、テレビで大ブレイクしていたコント55号(萩本欽一、坂上二郎)と、ドラマに出る前の歌手として絶頂にあった頃の水前寺清子を前面に押し出してストーリーが展開されています。

1969年のお正月映画でした。

これはリアルタイムで観たのを覚えています。

父親が、日曜日になると私を映画館に連れて行ってくれたのですが、いつも幼児にはむずかしいものばかりで、まあ子供孝行ではなく、自分の道楽だったと思います。

そんな幼児が、はじめて「面白い!」と思ったのが、野村芳太郎監督の本作でした。

コント55号を、生まれて初めて観た映画だったのですが、「こんなに面白い人たちがいたのか」と感動しました。

当時の関東の「お笑い」は品があり、体を張った爆笑ではなかったのです。

が、コント55号は舞台を所狭しと走り回り、子供にもわかりやすく爆笑に誘いました。

何と言っても、一見ツッコミに見える萩本欽一が、ネタを振り返ってみると実はボケだったという、コンビの「お笑い」の常識を打ち破った意外性が、子供としては感覚的に新鮮と思ったのでしょう。

ストーリーは、幼馴染の喧嘩友だちである、やくざの金一郎(萩本欽一)と屋台のラーメンをひく次郎太(坂上二郎)の話。

学校時代の先生が益田喜頓です。

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卒業後も、何かと関わりを持つ関係です。

2人が憧れる銭湯の看板娘が水前寺清子。

といっても、坂上二郎はすでに妻帯者(悠木千帆=樹木希林)です。

そして、益田喜頓の息子役の藤岡弘が、水前寺清子の恋人のため、萩本欽一は結局一人ぼっちのままで映画は終わります。

ラーメン代をふみたおそうとした大熊組の親分が内田良平。

俳優としてもいろいろ仕事をされていますが、『ハチのムサシは死んだのさ』の作詞の人でもあります。

高原へいらっしゃい


高原へいらっしゃい、心の裏表を巧みに描くホテルと人生再建物語
TBSチャンネル第1回放送分より

高原へいらっしゃい(1976年3月25日~7月15日、TBS)は、山田太一脚本で田宮二郎主演版です。

「版」と書いたのは、2003年に佐藤浩市主演でリメイクされているからです。

荒廃した屋敷を、鉄鋼会社の社長(岡田英次)が買い取り、失職して夫婦仲もまずくなった元ホテルマンの娘婿・面川(田宮二郎)に、300万円で立て直すよう命じます。

田宮二郎が、自身の人生を懸けてスカウトしたスタッフは、コック(益田喜頓)とその助手(徳川龍峰)、ボイラーのエキスパート(池波志乃)、ウエイトレス(由美かおる)、ホテルのボーイ(潮哲也)、バーテン(古今亭八朝)、ジープの運転手兼雑務(尾藤イサオ)、雑務(北林谷栄)など。

さらに、岡田英次の部下の経理課長代理(前田吟)や、地元の材料卸売業者(常田富士男)を加えて、八ヶ岳高原ホテルとして立て直していきます。

いずれにしても、映画やドラマで仕事をするようになった益田喜頓は、あきれたぼういずの頃のような主役ではなく、脇を固める役割になりました。

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舞台でも活躍


舞台では、森繁久彌の代表作とも言える『屋根の上のヴァイオリン弾き』で、ラビ(司祭)役を一貫して演じて(19年間、907公演)きました。

「自分の好きな人のバイプレーヤーでね。いつまでも長く芝居を愛しておりますんで、やっていきたいと思いましてね。脇役になるべく徹したいと心がけたわけですがね。やっぱりその人が、その出し物を成功したときに、本当に嬉しいですよ。同じですよね。だから、芝居というのは出番が多いからいいとか、少ないからだめだとかいうわけじゃないと思う」(https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010110_00000

生まれ故郷の函館には胸像も建てられたそうです。

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https://www.kenhokukara.net/masudakiton/ より

益田喜頓さん。昭和生まれの方は覚えていらっしゃいますか。

キートンの浅草ばなし
キートンの浅草ばなし

キートンの人生楽屋ばなし

キートンの人生楽屋ばなし

  • 作者: 益田 喜頓
  • 出版社/メーカー: 北海道新聞社
  • 発売日: 1990/11
  • メディア: 単行本



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コメント 9

pn

キートン山田の方が記憶に残ってると言うかまだ生きてるかキートン山田は。
やっぱキートン山田もバスターキートンのファンか何かなのかな?それとも益田喜頓から取ったのだろうか?
by pn (2019-09-11 22:00) 

みうさぎ

晩年を知ってます
声に特徴あったと思います
紳士ダンディそんな言葉が似合う
品の良い方と言うイメージで見てました。

by みうさぎ (2019-09-11 22:27) 

ナベちはる

19年間で900を超える回数同一役をこなすこと、並々ならぬものを感じます。
by ナベちはる (2019-09-12 01:31) 

犬眉母

私も晩年しか存じ上げませんが、
ボードビリアン時代のご活躍も拝見したかったですね。
by 犬眉母 (2019-09-12 01:32) 

ヤマカゼ

益田さん、残念ながら記憶にありません。水前寺さんの若い画像始めて 見ました。
by ヤマカゼ (2019-09-12 07:05) 

cooper

晩年を観ていませんが 懐かしい方です。
やたらと騒がしいお笑い界、今の時代に この様な方は 現れないのでしょうね。
by cooper (2019-09-12 09:03) 

なかちゃん

益田喜頓さんは、残念ながらお名前だけしか存じ上げません。
でも、かしまし娘や玉川カルテットのモデルのような方だったのなら面白いに違いないと思います。
実際の芸を拝見したいなぁ(^^)


by なかちゃん (2019-09-12 12:51) 

Take-Zee

こんばんは!
昔の俳優さんたちはこんな名前が多かったですね。
谷啓・・ダニー・ケイ
掛け算九九、
山茶花究さん、八波むと志さん("^ω^)・・・

by Take-Zee (2019-09-12 17:59) 

そらへい

自分が子供の頃は,テレビでよくお見かけしました。
名前の付け方もしゃれていますね。
by そらへい (2019-09-14 21:14) 

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