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実績・経験がなければ相手にしてもらえないのが世の常という話 [パソコン・ネット]

実績・経験がなければ相手にしてもらえないのが世の常という話

先日の、『京都アニメーション火災、またぞろわかっちゃいない机上の空論』という記事で、私が自分の火災の経験を書きました。

それに対して、今回のガソリン大惨事と同列にすることや、「机上の空論」扱いしたことに、ともすれば批判めいたご意見が一部にありました。

要するに、我が家の惨事はしょぼい、「机上の空論」呼ばわりするくらいならもっと凄惨な経験をしてから言えということらしい。

それにお答えします。



結論から述べると、一酸化炭素中毒死は、今回のようなガソリンを使った大惨事だけに起こるものではありません。

火災の怖さは、少なくとも個々の生命の危機において火災規模の大小で差はありません。

一酸化炭素中毒は、ガソリンだろうが練炭だろうが一般の建造物だろうが、由来に区別はなく、燃焼に伴い少量でも中毒に至ります。

火災による焼死も、たいていは一酸化炭素中毒⇒倒れ逃げられなくなる⇒焼けるというパターンで皆同じです。

私は自宅の火災の9年前に、実家の隣家の火災も経験しました。

そこの主婦も火災による一酸化炭素中毒で亡くなりましたが、解剖したところ、肺や気管支だけでなく、胃や食道にも黒煙が入り込み、体内まで焼けただれていたそうです。

ところが、その火災の原因は、“ただの”古いこたつの漏電でした。

ですから、私の述べたことは、今回の火災の怖さを語れる「経験」として、事大主義ではないと思っています。

言論の裏付けは?


ことほどさように、世の中は「実績・経験」で発言の評価をすることはありますね。

一般論ですが、批判されたり、異論・反論があったり、ムシが好かないやつが意見を述べたりすると、よく言うことがあるでしょう。

経験したことのない人にはわかりません」て。

論理の賛否以前に、実績や経験を絶対視することで、相手の言い分を無条件に否定できる最強の方便。

「子どもを育てたことのない人にはわかりません」

「結婚したことのない人にはわかりません」etc……

まあそれらは、マウントをとる意味合いで述べていることもあるらしいですが、まるっきりおかしなことを言っているわけでもありません。

問われていることが事実関係の真偽なら、述べる人の肩書や立場に関係なく、正しいかどうかがすべてです。

便所の落書きが正しいこともあれば、ノーベル賞科学者が間違えることもあります。

でも、意見(主観)の場合、何に基づくものかという、その人の経歴とか、こだわってきた生き様とか、やはり評価の上では無視できないですよね。

今、吉本がもめてます。

それに対して、たとえば、芸能界も知らない、情報源もない、芸人自体よく知らない、そもそも定職にもつかず、過去においても組織の一員としての社会経験も浅い、というパラサイト中年がいたとして、その人が評論家を気取って毒舌の批判ばかりしても説得力がないですよね。

地方の限られた活動範囲と、ネットサーフィンしかやってない人の社会評論なんか、積極的に承りたいと思いますか。

もちろん、評論を述べるのは自由です。

ただ、現代人は忙しいのです。

一次情報も確認しない些末な主観ではなく、より真実に迫った新事実や、根拠ある見解を知りたいですよね。

ジャニー喜多川、芸能界におけるその功罪でも書きましたが、たんにジャニーズが嫌いという前提で、ジャニー喜多川やジャニーズ事務所について論評されても、“小中学生の感想文”と同レベルで、真実には肉薄できません。

じゃあ、バーニングや吉本と比べてどうなの、芸能界全体の中でどんな役割を果たしてきたの、など、良し悪しを選ばず事実と向き合いながら相対化していくのは当然のこと。

そういうとき、では、その人はそれを語れる根拠として、どんな実績や経験があるの、何を知ってるの、ということを人々が気にしたとしても、それは決して権威主義ではないと私は思うのです。

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ネット界のトレンドは専門性・権威性・信頼性


火災に限らず、たとえば政治の話でも同様です。

私も、障碍者(行政)についてなら、少しはわかってきました。

でも、それ以外のことは、自信を持って語れるバックボーンはありません。

憲法問題とか、外交・防衛問題とか、私がエラソーに語ったところで、それは、どこかの党派的見解のコピペ拡散としか思われないし、事実そうなってしまうでしょう。

もちろん、一票の行使とか、個人的な思想信条として、内心に確たる党派があることはいいのです。

ただ、ブログ記事として書くときは、どこかのコピペ言葉ではなく、「私はこういうバックボーンや根拠などからこう述べているんだが……」と自信を持っていえることを書いていきたいなと思っています。

それが、先日述べた、ブロガーとしての信用につながっていくことだと思うのです。

みなさんは、自信を持って他者に語れるこだわり、何か持たれていますか。

冒頭のイメージ画像
Photo by bruce mars from Pexels

良質記事の書き方
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pn

百聞は一見に如かず、百見は一経験に如かずをモットーとしてます。
が、何でもかんでも経験できるとも限らないので人の意見を鵜呑みではなく聞き入れる位の心は持っているつもりです。
それでも弊社のジジババの言い分にはイラ付きますが(笑)。
by pn (2019-07-24 21:32) 

ナベちはる

自らが経験しないと解らないこと・話せないことはたくさんあるので、そういうものがないと相手にしてもらえないというのは一定の理解ができます。

…が、それを楯みたいにして、他者の話を全く聞かないというのはアウトだと思っています。
by ナベちはる (2019-07-25 00:33) 

skeptics

よしもと騒動は、一般のブログでも取り沙汰されていますが、その殆どは、会社が悪いか芸人が悪いかという、契約とか立場の話ばかりで、反社との接点という、最も重要な疑惑が欠けております。
部外者の岡目八目には、限界があるかと。
by skeptics (2019-07-25 02:48) 

足立sunny

30年ぐらい前から、論の埒外のわからないことは素直に「わからない」と答えるよう心掛けていますが、少しでも知っていてそれなりに論理立てできると思う部分には他の方の話、ご意見に口を挟んでしまう、悪い癖があります。
つい先日も、憲法の解釈について会議であれこれ語ってしまいましたが、おそらく出席者全員だれも理解できない話でした。
黙っているのは難しいですね。

by 足立sunny (2019-07-25 03:19) 

扶侶夢

「自信」と問われると絶句しますけれど…「覚悟」はありたいと考えています。
“自分の言葉に責任を持つ” 小学生の頃に教わった記憶があります。これだけでも大分違うと思いますね。
by 扶侶夢 (2019-07-25 10:20) 

kou

一酸化炭素中毒は助かったとしても後遺症が心配です。内緒?ですが実は数週間入院していました。同じ救急病棟に一酸化炭素中毒の方がおりましたが、ひどい後遺症に苦しんでいるようでした。いつもと逆の立場になり半分介護される状態でしたが、お陰でその大変さをかみしめて帰ってきました。
大黒柱がボッキリ折れてしまう言う大きな代償だけが残りましたが、それはそうとして、私のつたない釣りブログはこれからも責任を持って発信して行きたいと思ってます。
by kou (2019-07-25 18:38) 

うーさん

経験者がすべてではない事、社会人になった時に、働いていた中小企業の職人さんたちの経験則という理論によらないそれ以上の上達のない技能で、実体験しましたが、経験のない私がいくら言っても聞く耳を持たれなかった事、思い出します。しかし、私が、そういう技能に未経験でも、それを知らない人たちに、これはこうやれば、もっと効率よく高い品質で完成する、そのように実践して見せると、この人は技能を理論立てて教えてくれる凄い人、そういう事になりました。要は経験というその中身は何か、そういう事です。それを知らない人があまりに多くまた、他人を否定する人が多い、というのも特徴でしょうか。一酸化中毒は火鉢でも起こりえますが、私の祖母が火鉢に当たっていて、いきなり、おかしくなったことがあり、怖いものだと思いました、火災も昨年、経験しました。消せたのが奇跡です。6畳一間を焼いただけですが、家中に煙が充満し、床上20cmから上は見えなくなり、火に巻かれたわけでもないのに瞳は焼かれ、髪はチリチリになり、喉の奥から痰を吐くようにすると、真っ黒なものが出、それは数日続きました。つまり火に巻かれるとか、直接的な事以前に一酸化中毒を含めて煙でも呼吸困難になるし、大きな火事を経験するまでもなく、その要因一つ一つ検討しても色々な事が想像できます。そう、想像力のない奴は、経験もした事もないくせに、そういう言葉で否定してしまうのですが、物事にはファクターというものがあって、そのファクターを多く拾い集められる人間は、より真実に近づける、そういう事ですね。
by うーさん (2019-07-25 20:32) 

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