SSブログ

“蒙古の怪人”キラー・カーン自伝「レスラーは人間性が一番」 [スポーツ]

“蒙古の怪人”キラー・カーン自伝「レスラーは人間性が一番」

“蒙古の怪人”キラー・カーン自伝(辰巳出版)を読みました。大相撲の春日野部屋からプロレスに入りしたキラー・カーンこと小澤正志は、自力で“プロレスの本場”アメリカでトップをとり、国際的な成功を収めた数少ない日本人レスラーの一人です。(画像はすべてGoogle検索画面より)



キラー・カーン。ご存知ですか。

80年代のプロレスの本場、アメリカ・ニューヨークで活躍した元日本人レスラーです。

日本のプロレス界で絶対的存在の力道山は、アメリカではロサンゼルスでしか通用しないローカルレスラーでした。

日本では、カリスマ的な人気を持ち、実力を評価されたアントニオ猪木も、実はアメリカでは、モハメッド・アリと戦ったこと以外はほぼ無名のレスラーと言わざるを得ませんでした。

では、アメリカで成功した日本人レスラーは誰かといえば、1960年代のジャイアント馬場です。

たとえば、『プロレスリングの聖域』というムックで、元東スポ米国通信員のマイク青木氏が、こう証言しています。

「私がMSG(注、アメリカ・ニューヨークのプロレスのメッカ、マジソンスクエアガーデン)で撮影するようになって、最初に来た日本人選手はジャイアント馬場さんです。とにかく体が大きいという印象以外、ありません。ただ、後になってやってきた猪木さんと比べ、試合で沸かせたのは馬場さんだったように思います。

当時のアメリカでは、まず体が大きい。そして殴る、蹴る、飛ぶといったシンプルで分かりやすい技が好まれました。馬場さんの十六文キックなどはまさに「絵になる」うえに会場も沸くのです」(『プロレスリングの聖域』で元東スポ米国通信員・マイク青木氏)


そのジャイアント馬場が帰国して20年後のMSGに、チャンピオンと対等に渡り合える日本人レスラーがあらわれました。

リング上では蒙古人ということになっていましたが、キラー・カーンです。

キラー・カーン

キラー・カーンこと小澤正志は、相撲界から1971年にプロレス入り。

しかし、入門直後の日本プロレス界はゴタゴタしていました。

その頃、同じ会社なのに、日本テレビがジャイアント馬場を、NET(テレビ朝日)がアントニオ猪木をトップにして放送していたことが契機となリ、選手もフロントも、馬場派と猪木派が相容れない状態でした。

若手の小澤正志は、ベテランレスラーの吉村道明の付き人をしていましたが、「馬場と猪木のどちらへつけとは言えないが、馬場のほうが人間味がある」と言われたそうです。

小澤正志自身も馬場と行動をともにしたかったそうですが、吉村道明引退後に付き人をした坂口征二が、アントニオ猪木が作った新日本プロレスに合流したために、成り行きで行動をともにせざるを得なかったと書いています。

アントニオ猪木には、「自分は無理だが、お前は体を大きくすればアメリカでトップを取れる」と言われたそうです。

そして、初の武者修行はメキシコへ。

テムヒン・エル・モンゴルという蒙古人のリングネームを名乗ります。

そこから会社には頼らず、フロリダ→ジョージア→ニューヨークと、各テリトリーでもまれてレスラーとして成長。

フロリダで、キラー・カーンに改名し、ニューヨークでは、大巨人のアンドレ・ザ・ジャイアントの足をへし折った男としてブレイクしました。

キラー・カーン

実際には、試合中のアクシデントで、しかも足は骨にヒビが入っただけで、アンドレからは、「ノープロブレム。これを因縁にして稼ごう」と言われたそうです。

スポンサーリンク↓

長州力に嫌気を指して引退


そんなキラー・カーンが、1987年に40歳の若さで突然引退します。

怪我や病気ではありません。

もちろん、アメリカでは慰留されました。

しかも、日本を希望しない妻子とは別居の形で帰国しました。

長年、プロレスファンの間でも、その理由は謎でした。

本書ではその真相を、長州力にあったと述べています。

『真説・長州力1951-2015』と『渡る世間は鬼ばかり』中田喜子

キラー・カーンは、新日本プロレスが利益をアントニオ猪木の事業道楽に注ぎ込むことに嫌気が指し、「ガラス張りの会社を」と、長州力らと新会社・ジャパンプロレスに移籍。

提携していたジャイアント馬場の全日本プロレスのリングに上がりました。

ところが、キラー・カーンが渡米中に、長州力が新日本プロレスに勝手にUターン。

それが原因でジャパンプロレスは分裂し、そのまま崩壊します。

しかも、長州力は、契約中の全日本の試合をサボって、アントニオ猪木との水面下の交渉に熱中。

強引な移籍で、全日本プロレスや日本テレビに多大な迷惑をかけた上に、本人だけは多額の移籍料を得ていたことを知ってキラー・カーンは激怒。

「そんな奴と同じと思われたくない」と、レスラーをスッパリ廃業してしまったそうです。

以後、プロレス専門誌やテレビの取材を受けることはあっても、マットに再び立つことはありませんでした。

引退宣言を撤回し、新日本プロレスも2度出たり入ったりを繰り返す長州力とは対象的な生き方です。

キラー・カーンによると、プロレスラーとして大切なのは、大きく分けてこの3点だといいます。

1.人間性(社会人としてきちんとしていることと、レスラーとして相手と信頼関係を築けること)
2.試合の勝ち負けにかかわらず本当に強いこと
3.レスラーとしての個性


長州力は、このうちの「1」に著しく反していたというわけです。

現在飲食店を経営するキラー・カーンは、別のインタビューで、プロレス時代をこう語っています。

プロレスを離れて30年近くが経つ。プロレスは、俺の中では終わったことだ。いい思い出でもあるけど、嫌な記憶もある。あの頃、俺は1歩下がって、自分の役割を果たしていただけだ。子どものころから、「俺が…俺が…」と前に出るのは嫌だし、できないんだ。何をされても、もめごとを避けて、引いていた。利用されやすいし、だましやすいんだろうな…ハハハ。こういう男もいるよ。損をする性格なんだ…(苦笑)。




日本のマット界のゴタゴタがなければ、もっとのびのびとしたレスラー生活を送れたかもしれません。

しかし、別の見方をすれば、日本のマット界の居心地が悪かったからこそ、アメリカで頑張らねばという気持ちになリ成功したともいえます。

いずれにしても、脚色や、“自分だけが凄い”というジコマンのくだりは一切ない、実直な自伝です。

昭和プロレスファンは、とっくに熟読済み(笑)とは思いますが、関心のある方はぜひ本書をご一読ください。

"蒙古の怪人" キラー・カーン自伝 (G SPIRITS BOOK)
"蒙古の怪人" キラー・カーン自伝 (G SPIRITS BOOK)
nice!(243)  コメント(17) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 243

コメント 17

末尾ルコ(アルベール)

“蒙古の怪人”キラー・カーン自伝「レスラーは人間性が一番」・・・写真によっては、オックス・ベーカーのように見えますね。モンゴルは現代では米国人にとって普段意識する国とは思えませんし、日本人にとっては相撲取りが多く輩出されるので特別の意味を持った国ですが、国際的にはさほど目立つような動きはありません。米国でモンゴルギミックが一定のポジションを得ていたのは興味深い事実です。「チンギス・ハン」という人物があまりに偉大だったということや、白人のDNAに刻まれているとも言われる「黄色人種に対する恐れ(黄禍論)」などの影響が考えられますが、なにせわざわざ白人を「モンゴル人レスラー」にしてましたからね(笑)。
キラー・カーンが米国で成功したのはやはり、「大きさ」と「分かりやすさ」でしょうか。特にNY中心のプロレスは、「細かなことをやっても観客は理解できない」と言われていたようですね。MSGでは何と言ってもまず「見栄え」であって、キラー・カーンは見事にその要件を満たしていると思います。猪木は上背もさほどないし、それ以上に外国人レスラーと比べると、身体の幅が薄いのが米国では致命的だと思います。
それにしても長州力というのは(笑)・・・という感じですね。その人間性についてもだいたい(悪い意味で)評価が定着しつつありますが、わたしにとってはどうにもプロレスラーとしての魅力に欠けた人でした。団体の4番手、5番手ならまだいいんです。トップレスラーとしては、いかにもつまらなかった。しかし「かませ犬」発言後、プロレス界を超えたブームになってしまうんですよね。あの時もそれまでのプロレスを知らない「にわか」がうじゃうじゃ増殖して、いい気分ではなかったです。子ども時代のわたしでさえ、プロレスに興味を持ち始めるや否や、まず「その歴史」をできるだけ知るようにしたのですが、「にわか」って、自分の好きなレスラーにしか興味がないのですよね。

>2.試合の勝ち負けにかかわらず本当に強いこと

ここはやはり、一番大事にしてほしいポイントです。もちろん「強さ」の定義は難しいのですが、プロレスラーを名乗る以上、「単なるエンターテイナー」と割り切ってはほしくないですね。などというわたしの考えも、意味不明のインディ団体てんこ盛りの現状ではいささか空しい気がしますが(とほほ)。

緑色の小さなカエルは母が気に入っております(笑)。オタマジャクシは可愛いですよね。でも手足が出始めると不気味です。それはちょうど、ヒヨコが鶏になるような理不尽さに近い気がします。でもどちらかと言えば、ヒヨコが鶏というパターンの方が理不尽度が高いでしょうか。

>今後そうした検査は難しいのかなとおもいます。

わたしも母の検査に関しては、常に(本当にこの検査は必要だろうか)という疑問を持ちながら対応しております。現在は半年に一度の頭部MRIと頸動脈エコー検査以外は血液検査くらいなのでそれほどの負担になっていおりませんが、以前いろいろ病気した時は検査結果は「問題なし」だったのに、検査の負担で半年ほど非常に体調を崩したことがあったのです。やはり年齢もありますから、「できるだけ負担を軽く」というのは常に念頭にあります。

>「平穏死」の思想に、ますます疑問を持ちましたね。

そうですよね。いっぷく様がいつもご批判されている「ピンピンコロリ」もそうですが、どうにも「命」に関して深く考えないメディアやそれに乗せられる人たちの間の風潮のようでいただけません。これらはそれこそ一種の流行であって、「命」の問題を流行で語るべきではもちろんありませんよね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-06-14 01:46) 

yamatonosuke

キラーカーンの引退にはそんな経緯があったんですね。
子供のころはずっとモンゴル人だと思ってました(笑)
by yamatonosuke (2018-06-14 02:16) 

うつ夫

全日本に行くべきでした・・・
by うつ夫 (2018-06-14 02:17) 

pn

社会人としても必要な条件ですよね3つとも。勝ち負け関係無く「強く」かぁ、深い。
にしてもモンゴル人じゃないのね(^_^;)
by pn (2018-06-14 06:15) 

ヤマカゼ

モンゴル出身の格闘家というと大相撲を思い起こし強そうというイメージですね。
by ヤマカゼ (2018-06-14 06:33) 

えくりぷす

キラー・カーンとアンドレ・ザ・ジャイアントのことは快楽亭ブラック師匠の噺のマクラによく出てきたのを覚えています。アンドレは当時すでに大人気だったそうですが、彼の器量の大きさを褒めていました。
この記事を拝読して、長州力の見方が変わりますし、キラー・カーンにはもっと長くやって欲しかったですね。
1ヶ月ほど入院・療養していましたが、ぼちぼちブログを再開します。今後ともよろしくお願いします♪
by えくりぷす (2018-06-14 07:57) 

Rinko

キラー・カーンの名前は知っていました。
潔い人ですね。
by Rinko (2018-06-14 09:07) 

johncomeback

アメリカで大活躍していたんですね。
名前は知っていましたが、TVで試合を観た記憶がありません。
by johncomeback (2018-06-14 09:38) 

makkun

キラー・カーンは知ってますが
彼のプロフを目にしてからは
私の2ケ月前に生まれた同い年だったし
妻と同じ新潟の生まれと言う事で
勝手に親近感を覚えました(笑)

by makkun (2018-06-14 12:32) 

白髭老人

ご機嫌よろしく
by 白髭老人 (2018-06-14 15:20) 

なかちゃん

その昔、テレ朝の放送がなかった富山なので、知ったのはずいぶん後ですね。
でも、知ったと言っても名前くらいで、きちんとしたファイトを観たことがあったかどうか(^^;

by なかちゃん (2018-06-14 16:37) 

ヨッシーパパ

キラー・カーンは、聞いたことがあるような、無いような。
by ヨッシーパパ (2018-06-14 17:27) 

足立sunny

そういえばなぎら健一さんのカレーライスの旅にキラーカーンさんのお店が出ていたような気も。
by 足立sunny (2018-06-14 17:54) 

しおつ

自分が中学生だったか高校生だったかの時、
クラスも全日派と新日派に分かれていたなあ。
by しおつ (2018-06-14 20:57) 

チナリ

こんばんは。

キラー・カーンさんは名前くらいしかわからず、試合は観たことがありませんが、いっぷくさんの記事を大変興味深く読まさせていただきました。

やはり人間というのは、いろいろな方がいて、いい意味でも悪い意味でもいろいろな人生を送られているんですね。

お話は少しだけ横道にズレてしまうのですが、今年の長州力の興行にて、DDTプロレスリングの伊橋剛太という選手が出場しました。

私は試合は観ていないのですが、リング上で、大勢のお客さんの前で罵倒されたそうです。

本人からすると大恥をかかされた最悪な一日になったことと察します。

そこで今年の4月1日にDDTプロレスリングの後楽園ホールにて、伊橋剛太5番勝負と銘打って、元新日本プロレスの金本浩二さんと試合をしました。

結果は金本さんにかなうはずもありませんでしたが、試合後に金本さんがマイクにて 「オレは長州力が大っ嫌いや!」 と言い放ち、お客さんから大歓声を受け、対戦した伊橋さんには 「もっと鍛えて長州力を見返してやれ」 と言い、「お前が力付けたらもう一回戦ってこい。それで、お前がオレの力を欲しかったら、オレがお前と組んでアイツ (長州力) とやってやるからよ」 という出来事がありました。

生中継で見ていたのですが、金本さんの発言には、胸がスーッとしたと同時に、胸が熱くなりました。

長州力という人物は、佐々木健介さんとも揉めたことでも有名ですね。

試合上での姿しか知りませんが、やはりあまり良い人柄ではないということでしょうね。

by チナリ (2018-06-14 23:28) 

犬眉母

人がいいと損をするのは
一般社会もおなじですね。
by 犬眉母 (2018-06-15 01:14) 

レインボーゴブリンズ

いつもありがとうございます(^^)/
ラッシャー木村といい、キラーカーンといい、昭和時代のプロレス界は、いい人材がいましたね。
by レインボーゴブリンズ (2018-06-15 16:41) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます