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カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡(宝島社) [スポーツ]

カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡

カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡(松永郁子著、駒沢悟監修、宝島社)を読みました。長谷川良平、上田利治、古葉竹識、外木場義郎、衣笠祥雄、山本浩二、達川光男といったOBの証言を中心に、その多くを1975年の初優勝までの苦闘に紙数を費やした資料的価値の高い書籍です。(画像は球団公式ペットマーク)



私の子供の頃のプロ野球は、ちょうど巨人のV9のさなかでした。

情報は巨人一辺倒でしたから、巨人に対する憧憬がないわけではありません。

ただ、勝負事というのは、勝者だけではなく敗者もいて成り立つものです。

勝者への関心が増すほど、一方で勝者を勝者たらしめた敗者への関心も高まるという、弁証法的な関心から、広島東洋カープへの興味はどんどん深まりました。

まあ、弱いだけなら、サンケイ→ヤクルトや、大洋(現横浜DeNA)などもありましたが、広島カープはチームだけでなく、球団そのものが脆弱というところが惹かれましたね。

しかも、当時は12球団で唯一、四大工業地帯ではない自治体にフランチャイズがある、つまりマイナー感の否めない「地方球団」。←広島の方ごめんなさいね

ラジオの中継から聞こえてくるヤジは、甲子園とは質の違う怖さ(笑)

広島東洋カープの攻撃では声援が飛ぶのに、巨人のバッターが打ってもシーンとしてるし。

広島東洋カープという球団への興味が深まらないはずがありません。

そして、選手も個々には大変魅力ある選手がいました。

順位をつけるのはむずかしいのですが、この3人は挙げたいですね。

金城基泰


金城基泰

Google検索画面より

入団4年目、20勝(最多勝)したオフに大事故。眼球を摘出する大手術で、特殊なコンタクトレンズをつけなければ日常生活を送れなくなったものの、翌シーズン後半にマウンドに復帰。

不幸によるハンデを背負ってカムバックした「辛さを克服して生きる」経験に惹かれるものがあり、金城基泰投手はもっとも印象に残る投手です。

外木場義郎


ノーヒットノーラン3回(うち完全試合1回)という不世出の怪物なのに、200勝していません。

弱いチームだった。監督に干されたことがある。エースとして責任持って無理したため晩年は不遇だったといった理由が考えられます。

藤本和宏


8年のプロ生活で、勝ち星がついたのはわずか1シーズン。

ところがその唯一のシーズンでノーヒットノーラン、2桁勝利、防御率1位に輝くなど、太く短すぎるプロ生活。

3人共タイトルホルダーなのに、引退後は外木場が数年コーチを努めただけで、指導者としては球界に残れませんでした。

藤本和宏に至っては、引退後は杳として消息が知れないといいます。

どうも私は、恵まれない「運命」の中で前向きに生きて短くともせいいっぱい光り輝いた、梶原一騎先生の描くヒーローのような人たちに惹かれるようです。

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焼け野が原の広島から立ち上がった球団の苦労


前置きが長くなりましたが、『カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡』は、原爆の焼け野原から立ちあがったプロ球団広島が、幾多の苦難を乗り越え1975年の初優勝に辿りつくまでの数々のドラマが克明に記されています。

普通、安定した経営母体を親会社として球団は誕生しますが、広島球団は、もともとが特定の企業を親会社として誕生した球団ではありません。

市民球団といわれますが、市民が出資者という仕組みができていたわけでもないので、インディー球団といった方がいいでしょう。

創設2年目で大洋に吸収合併が決まりながら、土壇場で後援会制度や樽募金で維持することを決めたり、母体となった広島野球倶楽部が累積赤字でどうにもならなくなったときは、いったん会社を潰して債務を清算して新会社を作ったり(要するに登記上は偽装解散)、それを地元の税務署員が見逃したり、登記上は「新会社」であるにもかかわらず連盟は規定の新規加盟金を免じたりと、周囲の理解(お目溢し)のもとにギリギリの経営状態で持ちこたえてきました。

チームとしては、とくに根本陸夫監督と、ジョー・ルーツ監督によって行われたチーム改革が、リーグのお荷物球団から1975年の初優勝につながったといいます。

たとえば、根本陸夫監督は、元巨人の関根潤三や広岡達朗などをコーチに招聘して、プロ野球界の「ど真ん中」の考え方やプレーを啓蒙しました。

カープファンに限らず、プロ野球ファンなら興味深く読める本だとおもいます。

みなさんは、ご贔屓球団はありますか。

カープ―苦難を乗りこえた男たちの軌跡
カープ―苦難を乗りこえた男たちの軌跡
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ナベちはる

他の球団には無いであろう「広島東洋カープ」の苦労、その苦労があったからこそ今の「広島東洋カープ」を築いているのだと思いました。
by ナベちはる (2018-06-06 00:24) 

yamatonosuke

広島カープの最大のイメージは、
近鉄バッファローズの日本一を阻止した江夏のあの一球です。
by yamatonosuke (2018-06-06 00:37) 

うつ夫

>>ラジオの中継から聞こえてくるヤジは、甲子園とは質の違う怖さ(笑)

怖いもの見たさ?
by うつ夫 (2018-06-06 01:08) 

末尾ルコ(アルベール)

カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡(宝島社)・・・ちょっと調べ直してみましたらですね、わたしが広島カープファンだったのは1980年から1997年くらいまでです。これも調べてみないと分からないものだと思いました。もっと短い期間だというイメージがあったのです。20年近くもファンだったんですね~。我がことながらビックリしました。
つまりわたしは「江夏の21球」の次の年からファンになったのですね。だから80年から90年代にかけての広島カープについてはやたらと詳しいんです。なにせ高知の本屋に出回っていた『月刊カープファン』なる雑誌まで買ってましたから(笑)。正直なところ、そこそこの価格で満足できるような内容ではなかったのですが、そこはファン心理、しかも広島カープの情報というのは、例えば『週刊ベースボール』などではほとんど載らなかったですから。ラジオ中継も本来高知では入ってこない広島放送などへ無理矢理周波数を合わせて、ノイズだらけの中継を毎試合聴いておりました。だから当時の広島カープのいいところも悪いところもだいたい把握しておりますが、お話を始めれば延々と続きますので(笑)、今夜はこのくらいで自重させていただきます(笑)。一つだけ付け加えさせていただくと、80年代中盤辺りから広島球場には本当にお客さんが入らなくなって、あれはものすごく情けない思いをし続けました。

松本典子はヤクルトの笘篠と結婚したアイドルですね。あらためてプロフィールをチェックしてみると(笑)、「第3回ミス・セブンティーンコンテスト」で18万人以上の応募の中から勝ち抜いてアイドルになったとありましたが、(え?18万人の中に松本典子よりよさそうなのはいなかったの??)と怪訝な気分になります。18万人って、すごい数ですよね~。その中から一人だけ選んで、「松本典子止まり(笑)」では非常に効率が悪い感じがいたします。
仙道敦子は「ものすごく好き」というわけではありませんでしたが、出演作はちょっとチェックしたくなる感じでした。10代の時点でそこはかとなく深さやニュアンスを感じさせる女優でした。緒形直人と結婚するのは勝手ですが(笑)、そこから今までずうっと休止というのはいかにももったいない話でした。『ホットドッグ』とかも観たことあると思うのですが、今一つ記憶しておりません(笑)。

テキ屋さんは、わたしが子ども時代はお祭りなどでしか見たことなかったです。あまり繁華街とか行かない家族だったということもあるかもしれません。もっとそのような世界に接する機会があれば、社会のことをさらに深く考察できていたのだろうと思います。まあ、教員の世界というのは非常に閉鎖的で狭いものです。ただ、いつしか高学歴一家になってしまった母の末妹夫妻が一時転々と職を変える時期がありまして、その一つが雀荘だったですね。そこへちょいちょい用事で母が立ち寄る必要があったのですが、とても雀荘の雰囲気には馴染めなかったようです。母はまったくアルコールを受け付けず、当然飲み屋界隈の経験もほとんどなしでしたから。その末妹の夫が早稲田大中退で、しかも当時の男性としては非常に体格もよく、父はある種のコンプレックスを持っていたのはありありと伝わってきました。父は国立大卒ですが、田舎の大学ですし、中学時代のわたしが既に慎重で追い抜いたくらい小柄でしたので、いろいろ思うところあったのだと思います。しかしコンプレックスを隠そうと虚勢を張るのはいただけなかったです。

>マツコ、坂上忍、博多華丸・大吉、渡辺直美、小峠英二あたりの顔が出てくる

わたしも民放地上波にはほとんど回さないのですが、マツコ、坂上忍がよく出るのは甚だしいですね。坂上忍あたりがこれだけ売れるっていうのはちょっと信じ難いです。小峠英二という人物はまったく知りませんし、博多華丸・大吉は『あさイチ』へ出始めて初めて知りました(笑)。
まあわたしの母もテレビばかりですよ。これは祖父母と同居していた頃に完璧にチャンネル権を握られていた反動もあるのだと思います。わたしが日プロや昭和の有名番組を観られなかったのは間違いなく祖父母のチャンネル権の影響だと思います。それ以前に、「午後8時には就寝」という生活パターンを強制されていた気もしますが(笑)。
そう言えば少し前にいただいたコメントの中に「薄目」というお言葉がありました。わたしも「薄目」の技(笑)はいろいろ使っていた覚えがあります。「薄目」っていいですよね、奥ゆかしくも怪し気な雰囲気があって。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-06-06 01:27) 

旅爺さん

お早う御座います。
昔はテレビで野球を散々見てましたが、何時の頃からか
見なくなっちゃいました。今はスタンドの応援が半端じゃないですね。
by 旅爺さん (2018-06-06 06:21) 

ヤマカゼ

ずいぶん苦労をされた球団だったのですね
by ヤマカゼ (2018-06-06 06:34) 

pn

3人目の藤本の太く短すぎるプロ生活に惹かれますね、そんな人生憧れます。
by pn (2018-06-06 09:01) 

なかちゃん

昔ユニホームを着たカープの選手たちと大阪のホテルのエレベーターでバッタリしたことがあります。
夕方か夜のことだったんだけど、それから練習に行くとのことでした。こんな時間まで頑張るんだなと感心して見てた記憶があります(^^)


by なかちゃん (2018-06-06 09:15) 

Rinko

ストーリーのある球団ですねー。応援したくなります^^
by Rinko (2018-06-06 10:17) 

makkun

私は長嶋が巨人から去った以降は
プロ野球に興味が無くなってましたが
当時、広島の栗原健太君と知り合いました・・
山形の天童市の温泉仲間(熟女さん)の息子の先輩で
数回、天童の寿司屋で懇親をしたのですが
そんな関係で広島ファンとなり広島から
楽天へ移った健太君ですが
広島ファンは変わってません。
2006年9月15日に書いて貰った色紙は
今もPCルームに飾ってあります(^^♪


by makkun (2018-06-06 12:00) 

poko

私は広島出身なので、私の父もテレビの野球中継をよく見ていたし
広島市民球場には何度も連れて行ってもらいました。
当時住んでた所は球場がワーッと盛り上がった大きな歓声が聞こえる場所で他の番組を見てた父がその歓声を聞いて野球中継に変えてたのを懐かしく思い出しました。
by poko (2018-06-06 13:03) 

johncomeback

近年のカープは強豪チームになりましたね。
それに比べて我イーグルスの不甲斐無さ、
昨日やっと交流戦初勝利、今日も勝てるかな?
by johncomeback (2018-06-06 15:51) 

JUNJUN

まさに、カープファンです!
苦難の時代を歩んできたカープも、今やセリーグ屈指の実力、人気球団となりました!
おかげで、昔と違って、ちっともチケットが取れませんよ(泣)。
by JUNJUN (2018-06-06 19:15) 

そらへい

外木場投手はかっこよかった記憶があります。
by そらへい (2018-06-07 20:07) 

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