『「頭のよさ」は遺伝子で決まる!?』(石浦章一著、PHP研究所)を読みました。頭がいいとはどういうことをいうのか、それは遺伝なのかなどについて、いくつかの研究データなども引きながらまとめられた著書です。もともと持っている才能だけでなく、社会環境や適応学習も重要であることを同書は述べています。
『「頭のよさ」は遺伝子で決まる!?』を読もうと思ったのは、過日、「
発達障害の親グループ(Facebook)に入ってみた率直な感想」に書いたことが直接のきっかけです。
思えば発達障害をカミング・アウトしたり、その所見が指摘されたりした非凡な有名人は枚挙に暇がありません。
アインシュタイン、ビルゲイツ、トムクルーズ、イチロー、坂本龍一、黒柳徹子、長島茂雄、織田信長、さかなクン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エジソン、ゴッホ、ベートベン、ガリレオガリレイ、グレングールド、スピルバーグ、ピカソ、ニュートン……。
錚々たる人材です。
ではいったい「頭がいい」とはどういうことなのか、
なにが「健常」で何が「障がい」なのか。
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それは遺伝なのか。
そんなことを知りたくなり、タイトルが面白そうだったので同書を手に取りました。
「頭がいい」かどうかは一概にいえない
「頭がいい」というのは、人間にとって最高のステータスなんでしょうか。
このブログでは以前、『頭がいい人、悪い人の話し方』(樋口裕一著、PHP)という書籍が250万部売れたというので、批判的なレビューを書いたことがあります。
頭がいい人、悪い人の話し方、250万部売れた理由
さて、今回の『「頭のよさ」は遺伝子で決まる!?』は、
結論から述べると、「頭のよさ」について、その定義も現象も遺伝性も
一概に言えない、
という立場に貫かれています。
まず、一流大学出身者でも、仕事ができなければ「頭のいい人」とは言われない。
現実に「学校の成績が良い事」と「世間で成功する」こととは別物。
だから、「頭がいい」とはどういうことかを規定するのはむずかしい、としています。
そして、同書は、言語力、計算力、記憶力、集中力、創造力、コミュニケーション力など、その個別の基準を枚挙。
それらが、遺伝子で決まるかどうか、ということをいくつかの研究結果をもとに著者の意見でまとめています。
同書の結論は、それらは、先天的な遺伝子によっても決まるし、後天的な環境によっても決まるとしています。
たとえば、学校の試験の成績が良い事を「頭が良い」というのであれば、それは遺伝しないといって良いけれど、その生活環境は大いに影響すると書かれています。
けだし、先天的なものが全て決まるなら、たとえば双子など同じ遺伝子の場合、同じ学歴や人生になるはずですが、必ずしもそうはならないですよね。
逆に、後天的なこと(本人の努力や環境)が全てでもないでしょう。
出自など、“ほしのもと”の関係で、どうにもならないことだってあります。
さらに同書は、生まれつきの才能が存在することを認めていますが、だからといってその能力で、優劣が決まるわけではないことも述べています。
たとえば、記憶力の劣る人は、覚えることができないから繰り返すことを会得する。
逆に記憶力に優れる人は、繰り返さないから、記憶は浅く短期的なものになりがちになる。
となると、両者を比べた場合、結果的に「記憶力が劣る」人のほうが物覚えに優れている評価を得ることになる。
これもありがちな話です。
「この子、やればできるのにやらない」
なんて言われる“未完の大器”のお子さんがいますね。
実際に、知能指数と学力がリンクしないことはめずらしいことではありません。
デキるからこそ入念にやらないのかもしれません。
ただ、そのお子さんが未完の大器のままで終わるか、きっかけをつかんで伸びるかは、そのきっかけを経験できるかどうか、つまり偶然や、その時代のニーズ(価値観)の要素もあるのだろうと思います。
結論
冒頭の発達障害について、同書は「自閉症」を取り上げていますが、自閉症の遺伝子があるものの、適応学習によって社会適応はよくなると書かれています。
そうしますと、結論として
「頭がいい」「悪い」「健常」「障がい」の定義や関係は、結局いかなる脳や遺伝子であろうが、適応学習次第で「どうにでもなり得る」ものだという大胆な解釈も同書からはできます。
まあ、極論とも言えますが……。
もとより、どのような基準にしろ、アタマが「いい」か「悪い」かを決めているのは、しょせん人間の価値観。
具体的に述べるなら、その時代の文明に適応しているかどうかにすぎないということでしょうか。
障がいは個性である、は至言であると私は改めて思いました。
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