SSブログ

『哲学入門』合理的精神と強い意志で人生の道筋を掃き清める提案 [生活]

『哲学入門』(仲本章夫著、創風社)という書籍をご紹介します。新刊ではありませんが、哲学ってなんだろうということを知る入門書として最適です。歴史上の人物や哲学思想の諸潮流を解説し、デカルト以来の近代合理主義の成果と問題点。そして私たちはどう生きるべきかを提案しています。



仲本章夫氏については、『生活のなかの哲学』(創風社)という書籍を以前ご紹介しました。

『生活のなかの哲学』(創風社)物事のおおもとは物質か精神か

今回の『哲学入門』は、タイトル通り、おそらく仲本章夫氏が学生の教科書として使っていたであろう哲学の概論です。

しかし、哲学を知りたいという意欲を持った人なら、それほどハードルの高さを意識することなく哲学を学べる書籍だと思います。

仲本章夫氏は、東京大学を卒業して大学(短大)教授になった哲学研究者です。

というと近づきがたい秀才のようなイメージがありますが、仲本章夫氏は、いったん社会に出て働いてから大学に戻った人で、発達障害のお子さんの育児も経験している苦労人。他人の心の痛みがわかる人でした。

発達障害のお子さんの育児も経験

学問的評価に、いちいち学者の人間性や生き様が関係あるのかって?

学術的な説自体の評価に、研究者の人間性は関係ありません。

ただし、それをいかなる価値で使うのか、いかに啓蒙するのかについては、学者の人間性はおおいに関係があると思います。

座学だけで完結するのではなく、人としての苦労や、他の学者よりも少し多めの経験を積んだ人なら、それだけ幅広い人間の価値観を知っているわけですから、より普遍的な真実に肉薄できるだろうと思うのです。

簡単に言うと、どんなに博学で素晴らしい研究をしている人でも、人間としてダメな奴の話は説得力がないでしょう?

話は少しずれますが、科学者の養老孟司氏が、STAP細胞騒動を起こした理研に対して、「強いリーダーシップや成果優先主義は、人間性を無視した価値観だと僕は思う」(withnews 1月6日(火)10時0分配信)と述べています。

科学者は新しい発見だけを考えて研究していればいいと言わず、研究体制に「人間性」を求めたことについて、私は養老孟司氏が本物の科学「者」なんだなあと見直しました(エラソーな言い方で恐縮)。

科学的真実は人間の意識から独立した客観的なものでも、それを研究して応用するのは人間なのですから。

デカルト以来の近代合理主義の“否定の否定”


さて、同書では、哲学上議論になる諸潮流や、歴史上の人物についての解説とともに、デカルト以来の近代合理主義批判に着目しています。

ルネ・デカルト(1596年3月31日~1650年2月11日)は、まず世界を相互に切り離された物質的原理と精神的原理に分けました(物心二元論)。

簡単に述べると、客観的物体と精神の産物は別のものである、「有る」と「思う」は違うということです。

これは、こんにちの科学的・合理的思考の端緒と言っていいと思います。

STAP細胞が「あると思う」ことは、イコールSTAP細胞が「存在する」ことにはなりませんよね。

つまり、STAP細胞が「ありまぁす」と言いはった小保方晴子氏は、そもそも科学者としての基本的なマインドができていなかったということです。

もうひとつ、デカルトは自然を機械のように考え、その真実に迫るには、細分化して部分を知り、それを合わせれば良いと考えました。全体は部分の総和である、という考え方です。

これもまさに、現代なお行われている科学の分析的思考として継承・発展しています。

引用はしませんが、こうしたことはデカルトの『方法序説』に詳しく書かれています。

このことによって、人間は世界を合理的に見ることができるようになり、こんにち「デカルト以来の近代合理主義」といわれているわけです。

自然科学と社会科学、文系と理系、なんていう分け方もそこから来ているわけです。

ただし、物質的原理と精神的原理は、別のものではあるけれども無関係のものではありません。

科学的認識(物質的原理)は、人間の価値意識(精神的原理)によってコントロールされなければならないからです。

物質的原理の「新しい発見」とその応用だけにつっ走った結果として、原爆や公害という不幸があります。

それは、たんに原爆や公害で犠牲者が出たから不幸であるというだけでなく、それをもって、デカルト以来の近代合理主義そのものを全面的に否定してしまう「文明批判」「理性の否定」「科学への不信感」といった考え方もうんでしまいました。

たしかに、物質的原理と精神的原理を切り離した点は、デカルト以来の近代合理主義の至らなかった点といえます。

しかし、合理的に世界(自然や社会や人)を見る、という考え方があってこそ、こんにちの文明、文化があるのも確かです。

そこで仲本章夫氏は、合理主義を継承発展しつつも、知識だけでなく精神の部分も大切にする新しい合理主義の立場にたとうと同書をこう結んでいます。最後の文章から引用します。

「私たちは、あくまでも、科学的精神で問題の解決にあたらなければならない、と思われる。問題の本質を科学的に分析し、そこに未来を見出し、解決への道を歩まなければならない。これは合理主義的態度である。しかし、合理主義といっても、近代合理主義ではない。感情や意志から切り離された理性・知性ではなく、豊かな感情と強い意志とによって裏打ちされた高い知性・理性によってものを見る、新しい意味での合理主義の立場に立たなければならない。」

私は、前に進めず結論を出せず迷ったり悩んだりすることがあると、いつもこの文章を読み直し、自分を奮い立たせます。

人間は弱いものなので、窮地に陥ると、判断が甘くなったり、低きに流れたり、神秘的に見えるものに救いを求めて騙されたりします。

しかし、自分が生きる道筋は、現実を合理的にとらえ、自らの価値観で掃き清め、前に進んでいくしかないのです。

前に進んでいくしかない

そして、これこそはまさに、人より少し遅れて大学に入りながらも研究者に進み、発達障害のお子さんを育て上げた仲本章夫氏の生き様そのものであると思います。

哲学という学問を知るだけでなく、そんな人間性や生き様を感じることのできる胸熱の一冊です。

哲学入門

哲学入門

  • 作者: 仲本 章夫
  • 出版社/メーカー: 創風社
  • 発売日: 1992/05
  • メディア: 単行本


nice!(340) 
共通テーマ:学問

nice! 340

Facebook コメント

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます