『社長繁盛記』マンネリズムに手を付けることの難しさ [東宝昭和喜劇]
『社長繁盛記』(1968年、東宝)を鑑賞しました。それまでレギュラーだった三木のり平、フランキー堺を外し、森繁久彌社長が浮気を企むマダムズも新しい顔ぶれになりました。でも当時の観客はそれを望んだのか。「また同じメンバーだよ」といいながら、そのマンネリズムを楽しみたかったのではないかと思うのですが……。
『社長繁盛記』DVD解説より
社長シリーズ(1956年~1970年)は、これまでこのブログでは、いくつもの作品を記事にしましたが、1960年代の東宝を経済的に支えた東宝昭和喜劇の一つに数えられる人気シリーズです。
33作公開されていますが、ひとつを除いて、同じキャスト・設定で正編・続編が作られています。
つまり、17の設定で33作上映されたということです。
ただ、レギュラーともいうべき出演者とキャラクターは、少なくとも14作目である『社長洋行記』(1962年)でほぼかたまりました。
森繁久彌社長と小林桂樹秘書。慎重派の重役が加東大介、宴会の好きな部長の三木のり平、怪しげな日本語を話す取引先の日系バイヤーにフランキー堺、が物語の中心メンバーです。
それに絡むのは、森繁久彌夫人が久慈あさみ、森繁久彌が浮気を狙っても結局できないマダムズが新珠三千代、草笛光子、淡路恵子、池内淳子などから毎回2名。
小林桂樹夫人が司葉子。森繁久彌の娘役は東宝の売り出し中の女優たちで、浜美枝であったり、岡田可愛であったり、中真千子であったりします。
要するに、いつも同じ顔ぶれで、ストーリーは違ってもだいたい結末を予想できるので、その意味では安心して観ることができる作品でありました。
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こういうのをマンネリズム、なんていいます。
マンネリ、というと、なにか悪いことのように思われがちですが、時代劇の『水戸黄門』のように、新しいことをするよりも、いつも行われる“毎度おなじみ”の振る舞いに、観る者は様式美という価値を感じる作品なのです。
ところが、マンネリを言われる作品は、テレビにしろ映画にしろ、観る人たちが飽きる前に、制作側が気を回しすぎて新しいことを始め、せっかくのマンネリズムを壊してしまうことがあります。
かつての人気時代劇ドラマ『水戸黄門』は、石坂浩二がそれをやってしまいました。
そこから長年の視聴者が離れ、里見浩太朗になってもそれまでの数字は戻らず、同作は終了してしまいます。
一方で、同じことを続けている『笑点』が安定した数字をたたき出していることを見ても、マンネリズムに手を付けることの難しさがわかります。
今回の『社長繁盛記』も、マンネリズムの打破が眼目にあったようです。
前作の『社長千一夜』(1967年)あたりから着手したメンバーの入れ替えが、今作の『社長繁盛記』では大幅に行われました。
しかし、どうも制作側も失敗だとわかったらしく、次の『社長えんま帖』(1969年)ではまた一部を元に戻すなど迷走があり、結局1970年の『社長学ABC』でシリーズは終了。
要するに今回の「マンネリ打破」は、社長シリーズの「終わりの始まり」になってしまいました。
物産会社の森繁久彌社長は、妻(久慈あさみ)の父親であり会社の大株主でもある宮口精二から、会社の経営について「若々しさがない」とハッパをかけられます。
そこで、第一営業部長の小林桂樹には、愛知の自動車会社(モデルはトヨタ自動車)への鋼材の売り込み、第二営業部長の谷啓には、台湾人バイヤー(小沢昭一)との商談の取りまとめを指示。
愛知には秘書(黒沢年男)を伴って自ら出向き、明治村の役員でもある総務部長(加東大介)の仲介で、明治村の理事長である先方の社長(中村伸郎)と会います。
が、うまく話をまとめられないどころか、香川県高松にある、宮口精二の持っている古い建物を、明治村に寄贈すると約束してしまいました。
観光映画でもある本作の見どころは、18階建ての名鉄バスセンターと明治村、高松です。
名鉄18階建てバスターミナル(『社長繁盛記』より)
森繁久彌社長らは今度は高松に向かいます。
森繁久彌社長は高松で地元の芸者(沢井桂子)といい雰囲気になりますが、その料亭の遠縁という、東京の馴染みのマダム(浜木綿子)が出てきておじゃん。さらに、浜木綿子とのデートも宮口精二に見つかってしまい、バツが悪くなって東京に帰ります。
何をやってもうまくいかなかった森繁久彌社長でしたが、黒沢年男の力で明治村への寄贈話はまとまり、小林桂樹や谷啓らも商談をまとめます。
若い力が活躍したことで、会社も「若返り」が進んでめでたしめでたしという結末です。
三木のり平に代わった谷啓ですが、谷啓のキャラクターは、三木のり平のようなわかりやすく予定調和な芸ではなく、もっとシャイで韜晦趣味で、ときには破滅的なもの。要するに前衛的なものだと思うので、そもそもミスキャストだったかもしれません。
げんに、宴会部長役は、次の『社長えんま帖』では小沢昭一、最終回の『社長学ABC』では藤岡琢也に代わっています。
マダムズも、今作は浜木綿子と沢井桂子に代わっています。
沢井桂子は当時の東宝でアイドル的存在でしたが、大人の作品にアイドルは要りません。自分の娘役(松本めぐみ)と同年代のおしりを追いかけているなんて、森繁社長がただのすけべオヤジにしか見えませんでした。
やはり、草笛光子のような、ちょっと一癖ありそうな人じゃないとつまらない。
森繁久彌と草笛光子のやりとりには、清濁併せ呑んだ男女のうさんくささが感じられ、私はそれだけでも観た甲斐があったと思っていたのです。
結局このマダムズも、次からまた草笛光子に戻っています。
作品の核となる秘書は、せっかく前作から黒沢年男が抜擢されたのに、次回から関口宏に交代してしまいます。
黒沢年男秘書のキャラクターを育てなかったのも残念でした。
秘書から部長に昇進した小林桂樹は出番が激減し、森繁久彌との掛け合いもあまり楽しめなくなりました。
つまり、今まで築いたシリーズの興趣どころがなくなってしまい、次回からまた慌ててその一部を復活させているのです。
しかし、いったん違うものを見せられると、観客は、今までのマンネリに区切りをつけられた思いがして、その後になって復活されても、もう映画館には戻ってこないんですね。
物事に永遠はありませんから、いつかはマンネリも飽きられる時が来るでしょう。
でも、ではいつ、どんな形で新しいものに切り替えるべきかは、なかなか難しい問題です。
これ、映画だけの話ではなくて、世の中の「マンネリ」すべてに言えることなんでしょうね。
【社長シリーズ関連記事】
・森繁久彌さんの「生誕100年祭」改めて鑑賞する『サラリーマン忠臣蔵』
・『社長道中記』で森繁久彌と小林桂樹が演じる高度経済成長時代
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・『続・社長外遊記』ロケ地に使われた「丸急デパート」の現在は……
・松林宗恵監督の祥月命日、月遅れお盆&終戦の日
・『無責任遊侠伝』と『社長紳士録』の違いはヒーローものと群像劇
・『へそくり社長』で千葉泰樹監督が描きたかった“人間への信頼”
・森繁久彌社長シリーズ最終作『社長紳士録』『社長学ABC』鑑賞
・『社長行状記』東野英治郎の笑顔は初代水戸黄門へ
・『社長千一夜』世代交代意識した三木のり平、フランキー堺降板作
『社長繁盛記』DVD解説より
社長シリーズ(1956年~1970年)は、これまでこのブログでは、いくつもの作品を記事にしましたが、1960年代の東宝を経済的に支えた東宝昭和喜劇の一つに数えられる人気シリーズです。
33作公開されていますが、ひとつを除いて、同じキャスト・設定で正編・続編が作られています。
つまり、17の設定で33作上映されたということです。
ただ、レギュラーともいうべき出演者とキャラクターは、少なくとも14作目である『社長洋行記』(1962年)でほぼかたまりました。
森繁久彌社長と小林桂樹秘書。慎重派の重役が加東大介、宴会の好きな部長の三木のり平、怪しげな日本語を話す取引先の日系バイヤーにフランキー堺、が物語の中心メンバーです。
それに絡むのは、森繁久彌夫人が久慈あさみ、森繁久彌が浮気を狙っても結局できないマダムズが新珠三千代、草笛光子、淡路恵子、池内淳子などから毎回2名。
小林桂樹夫人が司葉子。森繁久彌の娘役は東宝の売り出し中の女優たちで、浜美枝であったり、岡田可愛であったり、中真千子であったりします。
要するに、いつも同じ顔ぶれで、ストーリーは違ってもだいたい結末を予想できるので、その意味では安心して観ることができる作品でありました。
こういうのをマンネリズム、なんていいます。
マンネリ、というと、なにか悪いことのように思われがちですが、時代劇の『水戸黄門』のように、新しいことをするよりも、いつも行われる“毎度おなじみ”の振る舞いに、観る者は様式美という価値を感じる作品なのです。
ところが、マンネリを言われる作品は、テレビにしろ映画にしろ、観る人たちが飽きる前に、制作側が気を回しすぎて新しいことを始め、せっかくのマンネリズムを壊してしまうことがあります。
かつての人気時代劇ドラマ『水戸黄門』は、石坂浩二がそれをやってしまいました。
そこから長年の視聴者が離れ、里見浩太朗になってもそれまでの数字は戻らず、同作は終了してしまいます。
一方で、同じことを続けている『笑点』が安定した数字をたたき出していることを見ても、マンネリズムに手を付けることの難しさがわかります。
今回の『社長繁盛記』も、マンネリズムの打破が眼目にあったようです。
前作の『社長千一夜』(1967年)あたりから着手したメンバーの入れ替えが、今作の『社長繁盛記』では大幅に行われました。
しかし、どうも制作側も失敗だとわかったらしく、次の『社長えんま帖』(1969年)ではまた一部を元に戻すなど迷走があり、結局1970年の『社長学ABC』でシリーズは終了。
要するに今回の「マンネリ打破」は、社長シリーズの「終わりの始まり」になってしまいました。
またしても浮気はできず、でもビジネスはハッピーエンド
物産会社の森繁久彌社長は、妻(久慈あさみ)の父親であり会社の大株主でもある宮口精二から、会社の経営について「若々しさがない」とハッパをかけられます。
そこで、第一営業部長の小林桂樹には、愛知の自動車会社(モデルはトヨタ自動車)への鋼材の売り込み、第二営業部長の谷啓には、台湾人バイヤー(小沢昭一)との商談の取りまとめを指示。
愛知には秘書(黒沢年男)を伴って自ら出向き、明治村の役員でもある総務部長(加東大介)の仲介で、明治村の理事長である先方の社長(中村伸郎)と会います。
が、うまく話をまとめられないどころか、香川県高松にある、宮口精二の持っている古い建物を、明治村に寄贈すると約束してしまいました。
観光映画でもある本作の見どころは、18階建ての名鉄バスセンターと明治村、高松です。
名鉄18階建てバスターミナル(『社長繁盛記』より)
森繁久彌社長らは今度は高松に向かいます。
森繁久彌社長は高松で地元の芸者(沢井桂子)といい雰囲気になりますが、その料亭の遠縁という、東京の馴染みのマダム(浜木綿子)が出てきておじゃん。さらに、浜木綿子とのデートも宮口精二に見つかってしまい、バツが悪くなって東京に帰ります。
何をやってもうまくいかなかった森繁久彌社長でしたが、黒沢年男の力で明治村への寄贈話はまとまり、小林桂樹や谷啓らも商談をまとめます。
若い力が活躍したことで、会社も「若返り」が進んでめでたしめでたしという結末です。
マンネリはずっと続けないと飽きられる
三木のり平に代わった谷啓ですが、谷啓のキャラクターは、三木のり平のようなわかりやすく予定調和な芸ではなく、もっとシャイで韜晦趣味で、ときには破滅的なもの。要するに前衛的なものだと思うので、そもそもミスキャストだったかもしれません。
げんに、宴会部長役は、次の『社長えんま帖』では小沢昭一、最終回の『社長学ABC』では藤岡琢也に代わっています。
マダムズも、今作は浜木綿子と沢井桂子に代わっています。
沢井桂子は当時の東宝でアイドル的存在でしたが、大人の作品にアイドルは要りません。自分の娘役(松本めぐみ)と同年代のおしりを追いかけているなんて、森繁社長がただのすけべオヤジにしか見えませんでした。
やはり、草笛光子のような、ちょっと一癖ありそうな人じゃないとつまらない。
森繁久彌と草笛光子のやりとりには、清濁併せ呑んだ男女のうさんくささが感じられ、私はそれだけでも観た甲斐があったと思っていたのです。
結局このマダムズも、次からまた草笛光子に戻っています。
作品の核となる秘書は、せっかく前作から黒沢年男が抜擢されたのに、次回から関口宏に交代してしまいます。
黒沢年男秘書のキャラクターを育てなかったのも残念でした。
秘書から部長に昇進した小林桂樹は出番が激減し、森繁久彌との掛け合いもあまり楽しめなくなりました。
つまり、今まで築いたシリーズの興趣どころがなくなってしまい、次回からまた慌ててその一部を復活させているのです。
しかし、いったん違うものを見せられると、観客は、今までのマンネリに区切りをつけられた思いがして、その後になって復活されても、もう映画館には戻ってこないんですね。
物事に永遠はありませんから、いつかはマンネリも飽きられる時が来るでしょう。
でも、ではいつ、どんな形で新しいものに切り替えるべきかは、なかなか難しい問題です。
これ、映画だけの話ではなくて、世の中の「マンネリ」すべてに言えることなんでしょうね。
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