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『喜劇駅前団地』小田急線百合ケ丘駅開業を舞台に社会派群像作品 [東宝昭和喜劇]

『喜劇駅前団地』(1961年、東京映画/東宝)を鑑賞しました。喜劇駅前シリーズは1958年~1969年まで全24作上映されましたが、本作はその2作目です。伴淳三郎のアチャラカ、フランキー堺の狂言回し、森繁久彌のツッコミという三者のアンサンブルが描く社会派群像喜劇。今回の舞台は神奈川県川崎市百合ケ丘です。

喜劇駅前団地

当時の東宝は、森繁久彌の社長シリーズ、クレージー映画シリーズとともに、この喜劇駅前シリーズを年間興行の柱と位置づけており、まさに東宝昭和喜劇黄金時代の一翼を担っていました。

シリーズの設定は各話違いますが、徳之助の森繁久彌、孫作の伴淳三郎、次郎のフランキー堺が主役の群像喜劇です。

ストーリーは、喜劇としては異例の、実際にあった出来事を舞台にし、笑いだけでなく風刺を込めていく高度な社会派喜劇に仕上がっています。

たとえば、本作の舞台は、小田急線百合ケ丘の新駅開業を巡る土地高騰がテーマです。

現在住宅地である神奈川県川崎市北部。約50年前は田畑中心の地域でした。そこに高度成長を支える会社員たちのために、ベッドタウンとして公団団地が開発され始めたのです。

土地成金に浮かれる農業従事者。一方でそれではいけないと改めて農業を見つめなおす者も。さらに代々の土地の者と新たに転居してきた者との確執などが描かれているリアルな構成です。

喜劇駅前シリーズは、以前書いた『喜劇駅前茶釜』では正田醤油も登場する夏祭りが、『喜劇駅前弁当』では1959年8月の静岡富士川河口を溢水させた台風が、『喜劇駅前女将』では大相撲本場所が、『喜劇駅前金融』ではいわゆる昭和40年不況が描かれています。

監督は久松青児。

喜劇駅前団地
中央が久松青児監督(『東宝昭和の爆笑喜劇Voi.24』より)

文芸作品や群像劇を手がける名監督だと私は思います。

ネタバレ御免のあらすじ


もともと農業が中心だった神奈川県川崎市北部でしたが、団地建設のため土地成金(伴淳三郎)が誕生。伴淳の後妻が森光子。大学浪人中の先妻の息子が久保賢こと、後に日活で和泉雅子とコンビを組んだ山内賢です。

森繁久彌は、同じ町で父親(左卜全)を継いで医院を開業しています。小学生の息子(二木まこと=二木てるみの実弟)がひとりいますが夫人は死別で独身。

近所の居酒屋の女将が淡路恵子。働いている女性の一人が久保賢のガールフレンドで黛ひかる。これが百合ケ丘の人びとです。

そこに、土地を買って病院を作ると乗り込んできた不動産業者がフランキー堺。購入者が女医の淡島千景。

もちろん、最初は森繁久彌と淡島千景の関係は最悪です。

しかし、ヤブだのおんぼろ病院だのと見舞い客に言われながらも淡島千景のケガを森繁久彌が治療し、二木まことの肺炎を淡島千景が親身になって治療したことで、2人はお互いを理解し合い、新たに建設する病院を夫婦として営むことにします。

百合ケ丘の駅ができる(つまり土地の価値が上がる)ことを聞きつけたフランキー堺は、そのことを隠し、予定新駅周辺の地主である伴淳三郎と土地売買契約を成立。飼い主は淡路恵子です。

その際、さも淡路恵子が気があるように伴淳三郎に言いながら、実はフランキー堺が淡路恵子と夫婦になり、その土地で居酒屋を始めます。

森繁久彌と淡島千景、フランキー堺と淡路恵子はハッピーエンドで、伴淳三郎だけが損をするシリーズのパターンは本作から始まっています。

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『喜劇駅前団地』の頃の坂本九


また、『喜劇駅前団地』には坂本九が出演しています。この作品の芝居が好評だったのか、『喜劇駅前弁当』にも出演しています。

『喜劇駅前団地』での役は洗濯屋の九作。久保賢が大学進学ではなく養豚業を希望しているので、それを後押しすべく一芝居うち、黛ひかると心中したように伴淳三郎にほのめかしています。

ということで、ここから、先日の「坂本九は曲直瀬信子の“逆張り”の引き抜きで誕生した」の続きを書きます。

坂本九は、「どこにでもいる人がスターになれる」テレビ用にスカウトされ、1959年にダニー飯田率いるパラダイス・キングの一員として本格的な芸能活動をスタートさせますが、歌はうまくないという評価もあり、最初は鳴かず飛ばずでした。

それが2年後の1960年、東芝音楽出版(東芝レコード)に移籍して『悲しき六十才』をリリースすると、10万枚を売り上げる初ヒットとなりました。

その後は、曲直瀬信子の見立て通り、坂本九はテレビでメキメキ頭角を現します。

出世作になったのが、『夢であいましょう』(1961年4月8日~1966年4月2日、NHK)という歌とショートコントによる上品なバラエティ番組です。

『坂本九 上を向いて歩こう』(日本図書センター)には、出演者の記念写真が掲載されていますが、写真のほぼ中央に坂本九がいます。

夢であいましょう

その後ろに渥美清。左隣りに九重佑三子、その左隣りは後に夫となる田辺靖雄、初代ホステスの中嶋弘子の左隣りで左手をあげて目立っているのが黒柳徹子、右側の一団にはフランキー堺や永六輔、渥美清とスリーポケッツというトリオを組んでいた谷幹一もいます。
「いい歌、いいおどり、いいコントが必要だった。だが何よりも必要だったのは、素敵な雰囲気だった。快適なテンポだった。ほんのりとした明るさだった。
 そういうものを才能として性格としてもっている人を『夢あい』に集めた。黒柳徹子、九重佑三子、田辺靖雄、中島弘子、そして坂本九。
 九ちゃんのもつ雰囲気は抜群だった。ニキビだらけの顔にいつも明るさがあった」(『坂本九 上を向いて歩こう』で、番組を振り返るNHK元会長・川口春夫氏)
そんなさなかに出演したのが、本作の『喜劇駅前団地』だったのです。

『喜劇駅前団地』の劇中では、『九ちゃんのズンタッタ』(青島幸男作詞・作曲)を歌っています。こんなひょうきんで抜け目ない若者が、町にいたら住民の潤滑油のような働きをするんだろうなあ、と思わせる存在です。

ところで、坂本九はそもそもどうして歌手になりたかったのか。『坂本九 上を向いて歩こう』(日本図書センター)の中でこう書かれています。
ボクは自分の顔に、ひどいコンプレックスをもっていた。二キどのあること、いまはどうでもいいことに思えるけど、あのころは最高に気になってしかたなかった。(中略)  ボクが、どうして歌手になりたいと思うようになったか、いま冷静に考えてみると、二キビのせいだといえなくもないような気がする。(オレの顔はこんなにまずいけど、歌手になれば女の子もキャーキャーさわいでくれる)そんな考えが、心の底にあったことはたしかだ。
坂本九が、『あゆみの箱』に参加したり、障がい者関連の活動に熱心であったのは当時から知られていました。

ルックスに対するコンプレックスがきっかけとなり、他人の心の痛みと手を携えたいと思うようになったのかもしれません。

障がい者も、その他様々な事情で不遇な人も寂しい人も、人としての尊厳や生きがいをもって生きることができるよう、自分なりのサポートをしたい、という思いがこもっていたのではないでしょうか。

そう考えると、『上を向いて歩こう』や、定時制高校生を歌った『見上げてごらん夜の星を』には、歌詞を超えた坂本九の思いがこもっているような気がします。

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