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南田洋子さんの祥月命日に『待ってくれ、洋子』論争を思い出す [懐かし映画・ドラマ]

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『待ってくれ、洋子』より

南田洋子さんがクモ膜下出血で亡くなったのが2009年の10月20日でした。死因よりも、その10年前から症状が現れていたアルツハイマー病のことが思い出されます。テレビや書籍で、その様子を明らかにした長門裕之さんの判断についてメディアやネットで大激論になりました。あれから5年経ちましたが、改めてこの問題をどう考えますか。



長門裕之が、南田洋子の認知症を最初に明らかにしたのは『徹子の部屋』(2008年)。

そして、実際に南田洋子の姿や、自分が介護する姿を公開したのは、『報道発 ドキュメンタリ宣言』というタイトル通りのドキュメンタリー番組でした。

長門裕之・南田洋子夫妻は、2005年に『いい旅夢気分』(テレビ東京)に出演したのが最後の夫婦共演でしたが、私はたまたまその番組を観ていて、「ああ、南田洋子も歳を取ったなあ」と思っていました。

ただ、それはあくまで自然な加齢、つまり「衰え」であり、アルツハイマーを疑うような「変化」ではなかったので、テレビ番組や、書籍『待ってくれ、洋子』(主婦と生活社)で明らかになった南田洋子の姿を見た時は、驚きました。

南田洋子を「きれいな人だな」と思える頃から映画やドラマを観ていたので、ショックもありました。

変わり果てた南田洋子を公開したことについて、当時の長門裕之について賛否両論がありました。

自分の配偶者(しかも女優)がアルツハイマー病になった場合、その姿や私生活を公にしますか、できますか、という議論です。

スポーツ紙では「芸能界の一部から非難の声が上がっている」(「東京スポーツ」2009年4月30日付)と報じられ、週刊誌では、里見浩太朗が怒って自分の舞台から長門裕之を降板させたという記事も出ました。

記事では関係者がそれを否定しているものの、舞台の降板、里見浩太朗と長門裕之の話し合いは事実と書かれています。

里見浩太朗は「反対」だったんですね。

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私は、当時から、長門裕之の思ったとおりにすればいい と思いました。

一部には、南田洋子のことを「あんな変わり果てた姿をテレビに晒して」という批判もありました。

でも、たとえそれが善意のものであったとしても、認知症の人にとってどれほど失礼な物言いか。

そのような意見が出るのは、本音では認知症を汚い病気として世間がとらえているからではないでしょうか。

私は、たしかにショックでしたが、人間の老いと認知症の現実を知ったことで、いわば「将来の自分にとっての予行練習」になったと思いました。

長門裕之が金銭目的で南田洋子を晒し者にした、という意見もありましたが、もしそうだとしても、介護にはお金がかかるのですから、仕方なかったのではないかと私は思います。

長門裕之の立場と年齢から考えれば、そのお金で遊び歩くなんてことはあり得ないわけですから。

長門裕之は過去に南田洋子に対して良い夫ではなかったくせに、今になって介護する立派な夫を演出するなという声もありました。

それも大きなお世話だと私は思いました。

いい夫であろうがなかろうが、ずっと連れ添ってきたのは事実。

夫婦のことは当事者にしかわからないことです。

過去がどうであっても、その時介護をしているという事実を否定できるわけではないでしょう。

南田洋子の人権云々という意見もありましたが、女優として生きるというのはそういうこと(私生活も覗かれる)も「あり」なのではないでしょうか。

70歳を過ぎてほかに家族もいない長門裕之にとって、南田洋子のことは心身共に辛かったと思います。

介護の現実を社会に訴えることで、長門裕之自身の精神の正常さ保ってるところもあったと私は見ています。

誰だって苦しい時には弱音ぐらい吐き出したい。

だから私は、長門裕之の思ったとおりにすればいいと考えたのです。

どんなに科学が発達しても、人間は「老い」を克服することはできません。

いわゆるピンピンコロリならば介護の世話はいらないかもしれませんが、家族が、自分がそうでなかったらどうなるのだろう、なんてことをぼちぼち考え始める年代なので、この問題は時間がたっていっそう切実で切ない話です。

待ってくれ、洋子

待ってくれ、洋子

  • 作者: 長門 裕之
  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本


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