『砂の器』は松本清張が書いた長編推理小説です。過去映画で1度、テレビドラマで5度映像化され、多くのマニアサイトがレビューやロケ地探訪を公開しています。それらがとくに熱心に取り上げているのは、加藤剛主演の映画(1974年、松竹)と、中居正広主演の連続ドラマ(2004年、TBS)のようです。
『砂の器』は、映画ファンならいまさらあれこれ書くまでもない名作ですね。
『砂の器』といえば、私の印象に残っているのは映画です。
加藤剛は、やはり松本清張原作、橋本忍脚本の『影の車』(1970年)に出演していますが、幼少の頃の「闇」が伏線となって罪を犯すというプロットはどちらにも共通しているので、加藤剛の世界なんだと素直に思えるところがありました。
もうこの頃は映画の専属制も崩壊していましたが、松竹だけは、島田陽子や森田健作などと契約が残っていて、専属俳優で作品を作る、古き良き時代の最晩年の作品という感慨もあります。
まあただ、テレビドラマは毎週放送して回ごとに盛り上げていきますし、現在のパソコンユーザーの年齢層からすれば、中居正広のドラマが取り沙汰されるのもわかります。
ということで、私も中居正広版の映像で“あら探し”を試みます。
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1.まず、京浜東北線大宮行きに乗った、三木謙一を演じる赤井英和が降りた駅はJR蒲田駅東口。
2.日本工学院専門学校および日本工科大学の前の呑川沿いの道がうつります。(蒲田駅西口から500メートル北上したところ)
3.東急池上線・多摩川線蒲田駅の下の食い倒れ横丁を赤井英和が歩きます。(蒲田駅西口から100メートル西に歩いたところ)
4.「大田区民ホール」というクレジットがかかった富士通のビル(蒲田電車区の隣)で赤井英和が待ち、中居正広が車をおいてやってきます。(蒲田駅西口から5分南に歩いたところ)
5.また、呑川沿いのガードレールを2人が歩いています。
6.お店で飲んでいるシーン(セット)
7.電車区のシーン
4までは、土地勘のない赤井英和がいろいろ迷ったということにすると説明がつくかもしれませんが、中居正広と会った後も、駅より北側にある呑川に戻っています。そして、どこかで飲んだ後、また蒲田駅よりもずっと南側の電車区に来ているのですが、ここは少し距離があるのです。
呑川のガードレールではなくて、京浜東北線と環状八号線が交差する陸橋の下あたりを歩けばつじつまが合ったのに、と、もと地元民は思いました。
そんな重箱の隅はともかくとして、事件現場の蒲田電車区です。
2人が歩いたシーンは、向かって右側に大田区立志茂田小学校があるあたりだと思います。
その後、2人は口論となり、中居正広版では、押し倒された赤井英和が境界杭に頭を打って死ぬ、というアクシデントとして描かれています。
ドラマでは、かなり高めで黄色の境界杭でしたが、私がその場所を確認したところ、そこから近いだろうと思われるところに背の低い赤いものがあるだけでした。ドラマ用にこしらえたのかもしれませんね。
その後、中居正広は赤井英和の遺体を電車の脇まで引きずるのですが、蒲田電車区は中に入れません。マニアのブログによると、そのシーンは蒲田電車区ではなく、秩父の電車区で撮ったらしいですね。
蒲田電車区は、蒲田駅を南に500メートルぐらい進んだところから分かれています。
夕方のラッシュ時は、ここから始発電車がスタートします。
私もよくここで撮ってYOUTUBEにアップしていました。
というわけで、今日のロケ地探訪は蒲田電車区でした。
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