アンパンマン。たぶんほとんどの方がご存知でしょう。では、はなかっぱはいかがでしょうか。いつもご紹介している『実話BUNKAタブー』(2014年6月号)が、批判精神旺盛な雑誌らしく、アンパンマンについて興味深い問題提起をしています。タイトルは「アンパンマンが日本をダメにした!」。「愛と勇気だけが友達の人気ヒーローが子供をいっさい救わない4つの理由」という手厳しいサブタイトルをつけています。
記事は、例によって同誌独特の書き方から始まっています。
同誌より(イラスト部分はフイルタをかけています)
「どんな作品でも、いちばん善人面してる奴が一番タチ悪いですから!渡邉美樹さんだって『善人ですか?』って聞かれたら『善人です』ってワタミスマイルで答えるに決まってます」と、ブラック企業と叩かれているワタミの創業者を論ってからアンパンマンを糾弾しています。
その「4つの理由」ですが、まず、顔の一部を食べさせるのは「自己犠牲なんかでは全然ない」。自己犠牲というなら全部食わせてやれ、それにただ優しくしても世の中は解決しないことがある、と書いています。
ふたつめは、本当の悪者がいない「お花畑全開の世界」ということ。「本来の世界との距離感を見失ってしまうこと間違いナシ」と書いています。
3つ目は、「アンパンマン世代は実際に凶悪犯罪が多い」こと。
4つ目は、「テーマソングの歌詞が宗教チックで気持ち悪い」ということ。
最後に、「子どもには、『BUNKAタブー』でも読ませたほうがはるかに有意義」と結んでいます。
「凶悪犯罪が多い」云々は、社会科学的な考察になっていないので今回はスルーして
要するに同誌が『アンパンマン』に言いたいことは、
世の中はきたない、だからキレイ事の勧善懲悪はうそ臭いからやめろ
ということですね。
全く無意味な提案とは思いませんが、諸手を上げて賛成もできません。
なぜなら、「本来の世界」を描けというのは、たんなる現状追認の創作観でしかないからです
そこに、新しい価値観の創出や普遍的な真実への肉薄があるでしょうか。
ないでしょう。
とくに人格形成の途上にある子どもに対しては、たとえ現実と距離があっても、こういう心を持って欲しい、という思いを物語を通して伝えていくことが否定されるべきではありません。
イソップの童話などは本来そのような意味があるはずです。
世の中をウラから、斜めから見るカストリ雑誌は、大人になってから読めばいいのです。まずは正面切って建前を堂々と表現するものによって人格形成してほしいと思います。
といっても、同誌にも一理あると思います。
それは、勧善懲悪という設定がそもそも絶対的なものなのか、ということです。
だって、バイキンマンて、そんなに悪いやつじゃないでしょう。
いや、悪いことは仕掛けてくるけれど、「バイキン」という名前からしてそもそもそういう立場にあるだけだし、あんぱんち1発で吹き飛んでくれるのだから、決してタチの悪いやつではないだろう、と思いませんか。
バイキンはバイキンなりに生きているだけなのに、それを自分の立場や都合でやっつけて、「愛と勇気」というのは、なんだかなあという気がするのは確かです。
だいいちリアルな世の中って、単純な勧善懲悪ではないでしょう。
たとえば同業者。商売敵であると同時に、業界を守り発展させるために手を携えなければならない仲間でもあります。
自分にとって敵でも、それはある意味、自分の哲学やレーゾン・デートルとして必要な存在でもあるわけです。
ですから、勧善懲悪というモチーフにこだわるのではなくて、社会にはいろいろな立場のやつがいる、その中でどう生きていくのか、ということを見せていけばいいのに、と思うことはたしかにあります。
でも、そんな作品てある?
そんな疑問に応えてくれる作品が、実はありました。
『はなかっぱ』(あきやまただし作、NHK Eテレ)です。
はなかっぱとは
「やまびこ村」に住む、頭に皿ではなく花が咲くはなかっぱ。敵役の黒羽根屋蝶兵衛(一応生物学上は蝶らしい)は、自分が若返りたいために、はなかっぱの頭に咲かせることができる「わか蘭」を狙っています。
「わか蘭」強奪の実働部隊として、修行に来ているがりぞーと孫娘のアゲルちゃんを差し向けるのですが、いつも失敗。黒羽根屋蝶兵衛が、がりぞーに「明日のオヤツはなーし!」と怒って終わる一話完結のストーリーです。
はなかっぱには、両親も祖父母も同居。はなかっぱ自身はスーパーマンでも優等生でもなくフツーの子どもです。友達も異なる生物でいろいろなキャラクターが集まっています。ときに小さな軋轢があっても仲良くやっています。
がりぞーとアゲルちゃんは、「わか蘭」を奪うために毎回見え透いた一芝居を打つのですが、はなかっぱはまんまとそれに引っかかります。それでもがりぞーたちは最後の詰めを誤って「わか蘭」は奪えません。
そして、また別の機会に性懲りもなくチャレンジし、はなかっぱも、がりぞーたちの存在も狙いも知っているのに、「あ、がりぞー」と呑気に友達扱いしています。
この、子どもが見ても突っ込みどころ満載の展開には、子どもの無邪気さや素直さ、相互信頼や友情、どこかの首相ではありませんが再チャレンジの精神が押し付けがましくなくユーモラスに描かれています。
悪役をただやっつけて「愛と勇気」だの「正義」だのをひけらかすことなく、悪役の立場を尊重し、信頼するストーリーによって、「ちゃんと生きてればなるようになるさ」ということをさり気なく説いているのです。
両親や祖父母の愛情を受けて育つ家庭が、いかに健全なものであるか、というNHK的な設定も抵抗なく受け入れられるようになっています。
はなかっぱはヒーローという趣ではないので、作品としてはアンパンマンの方が識者が絶賛しやすいかもしれません。
でも、本当に心に響く作品はどちらだろう、と考えると、案外今の子供達がおとなになってから、懐かしいと思うのは『はなかっぱ』かもしれないな、なんて思うのですが、いかがでしょうか。
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