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『ネットのバカ』が嘆く「Facebookは気持ち悪い」の真意は? [パソコン・ネット]

『ネットのバカ』(中川淳一郎著、新潮社)について久しぶりに書きます。同書は、ネットの「友達」や「一攫千金」「愛国」などの幻想を戒めるとともに、一般の利用者はネットで利益を得ようとする人たちに、時間も金銭も搾り取られる仕組みにあることを、昨年のペニオク事件などネット上に起きた出来事や、Facebookなどの新しいツールなどを遡上にあげて解説しています。

『ネットのバカ』については、先日このブログで書きました。「『ネットのバカ』の中川淳一郎氏、ネットとスマホに警鐘を乱打!」という記事です。

が、そのときは、著者の中川淳一郎氏の『日刊ゲンダイ』におけるインタビューのついでに紹介したような形になってしまったので、実際に同書については目次ぐらいしか具体的なことは書きませんでした。



そこで、今日はその補足といいますか、読みながらメモした私なりの同書の「ポイント」と思った記述を書き留めておこうと思います。

ネットほど発言に不自由な場所はない


一見、ネットは自由に何でも表現できるイメージがありませんか。でもそうではないというのが著者の指摘です。

たとえば、雑誌など特定の媒体ならターゲットが決まっています。だから、その読者の関心から外れたことについてはあまり配慮しなくてもいい。けれども、サイトは誰でもアクセスできるから、多様な価値観に配慮した書き方をしなければならない、だから不自由だ、ということです。

まあ、そこを押し切って特定のターゲットだけを向いた発信はできますが、後ろ向きな炎上対策は覚悟しなければなりません。言い方を変えると、ネットの発信者の心得として「嫌なら見るな」は通用しないということです。どうしてもそれに耐えられないならSNSにこもるか、ブログを諦めるか、といったところでしょうか。

エゴサーチはするな


自分を検索して、自分について誰がどんな取り上げ方をしているか調べないほうがいいという話です。誹謗中傷が書かれているのがわかっても不愉快なだけだし、文句を言ったところで、相手ははいそうですかと削除するどころか、そのやりとりをネタにまた勝手なことを中傷されるかもしれませんからね。もちろん、法律に触れるものなら訴えることはできますが、それはそれで手こずります。

私も、火災で妻子が揃って意識不明の重体のときに、子供がキラキラネームだの、歳取ってからできた子だのと、いろいろ書かれました。エゴ・サーチするといまだにそれらが出てくるのですが、一般人の不幸に複数のスレッドをたて、火事と関係ないコメントに熱中する粘着性や陰湿さには改めて閉口させられます。

ネットで成り上がる可能性はゼロではないがきわめて低い


ネットビジネスのセミナーでは、どんな底辺の人間だろうが失敗者だろうが、ネットなら大化けできるような“お花畑な話”をしている人がいますが、冷静に考えると疑問ですよね。

だって、弁護士になりたいなら司法試験に合格する、出世するためにはまずその会社に入るなど、リアル社会では厳しくても自己実現の道筋は客観的に存在します。でもネットの一攫千金なるものには、そういう道筋なんかないでしょう。つまり、ネットよりも実生活のほうがオーソドックスに成功しやすいということです。

ただし、著者は、ネットで成り上がる可能性は「ゼロ」とは書いていません。そうなるには、切り口を斬新にしたオンリーワン(誰も手を付けていない分野の第一人者)になることだそうです。具体的な名前は出しませんが、「コンビニアイス評論家」でネットの有名人になった人いますよね。

会議にPCは持ち込まない


最近良くいますよね。でも著者はそれを評価していません。会議とはヒトが面と向かって話し合い、問題を抽出して解決する場であり、タイピングの場ではないからです。

どうしても記録したいというなら、手を使ってメモしたらいいんじゃないでしょうか。手書きなら、その場の展開いかんで、きっちり箇条書きでもマインドマップのようなイレギュラーな形でも変幻自在に表現方法を変えられますから、よりリアルに記録を残せるでしょう?

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Facebookは気持ち悪い


Facebookは情報を得るだけで自分からは一切発信しないし交流もしない


同書の最大の眼目は、はたから見ると何とも痛々しいSNS中毒、とりわけFacebookに対する批判にあります。著者はズバリ、「フェイスブックは気持ち悪い」と唾棄しています。私もそう思っているので、個人的には「よくぞ言ってくれた」と快哉を叫びたい気持ちです。

なぜなら、Facebookは実名を晒すやりとりであるためか、「イケてる自分」「いい人な自分」を見せようと、必死になって「友達」増やしと相互「いいね!」と無難な投稿に熱中しているからです。

そんなの、楽しいの? と思いませんか。

そんな時間があったら、自分の趣味や、リアルな友達との付き合いに時間をさいたほうがいい、というのが著者の意見です。

もちろん、「客観的に不毛だろうが、私が何をしようと勝手だろう」という意見は「あり」です。

ただし、著者は同書で、Facebookにかぎらず、ネットでのクリックや書き込みは、何らかの形であなたではない誰かの利益につながっているんだよ、と指摘しています。

ネットとはそういうものだ、そこに気が付かないとネットに時間もお金も奪われるだけだといいます。

どういう構造かをいちいち書きませんが、ネットのツールやサービスは慈善事業ではありませんからね。それどころか、膨大に利益が見込めるからこそ行われているわけで、それを支えているのが一般利用者なのです。

必死にクリックや書き込みをしている人々は、そこまで考えたことはありますか。

まずは自分の能力を磨き本当に信頼できる知り合いをたくさん作れ、話はそれからだ


著者は言います。ネットの「友達」が自分の葬式に来てくれるのか、と。だからネットよりもリアルの時間を大事にしろと。

ネットで共通の趣味や目的の関係にある人ならば、実際に会えばメリットもあると言っています。

それはなるほどと思います。

ただ、著者は、宿敵であるプロブロガーのイケダハヤト氏とも飲み、意見は違っても理解し合えた成果を語っていますが、私はそれについてはどうなんだろうねえと思います。

かつての吉田茂と三木武吉ではありませんが、酒を飲んだら戦う意識が削がれてしまうので、“現役”である間はあえて関わらない関係であるほうがいいんじゃないかと私は思います。

私も、著者の言うように、信頼性という点で、リアル>ネットとは思います。

でも、私は著者ほど「リアル」にも幻想を抱いていません。その点が著者と考えの異なるところです。

だって、ネットだって現実の人間がやっているわけです。根本的にひとつの人格の中での行為なのです。

ネットのふるまいはひどいが、実際に会ってみたら素晴らしい人間だった、ということはあるのでしょうか。私はそんなものはないと思いますよ。それは幻想でしょう。

もちろん、ネットの場合、私もそういう狙いは持っていますが、様々な目的のため、あえて本来の自分と異なる考え方や態度を表明することがあります。

でも、その端々に、本来の人格というのは見えてくるものではないでしょうか。

それを見抜けないような人は、きっとリアルでもきちんとした人間関係は構築できないだろうと思います。

要するに、リアルだろうがネットだろうが、ちゃんとした人間はちゃんとして、ダメな奴はダメな奴なんだと思うのです。

いずれにしても、ネットを知るという意味で、同書はおすすめの一冊です。

ネットのバカ (新潮新書)

ネットのバカ (新潮新書)

  • 作者: 中川 淳一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/07/13
  • メディア: 新書


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