宇津井健さんが亡くなりました。芸能マスコミはいろいろなエピソードを紹介していますが、『女性セブン』(2014年4月3日号)に、『宇津井健さん、酸素マスクをつけながら遺作「渡鬼」を収録した』という記事が掲載されました。その記事にコメントするネット掲示板を見ていて、改めて時のうつろいやテレビ番組の質の変化を私は感じました。
私が思い出す宇津井健さんの作品というと、『ザ・ガードマン』『顔で笑って』『たんぽぽ』『新幹線大爆破』など、70~80年代のテレビドラマや映画です。
『ザ・ガードマン』出演の頃からサントリーの社長の覚えがよかったようで、同社がCMを出していた金曜21時の枠を途中おやすみするクールはあったにせよ番組が変わっても10年以上つとめたのは、新陳代謝の激しい芸能界では特筆モノだと思います。
サントリーのCMはたくさんの芸能人が起用されていますが、私は当時のCMから、宇津井健こそミスターサントリーというイメージがあります。
ドラマでは『顔で笑って』がベストワークだと私は思っているのですが、その後の「赤い」シリーズの方が注目されてしまいました。
さて、冒頭の記事ですが、『渡る世間は鬼ばかり 2013年2時間スペシャル 前後編』(2013年5月27日、6月3日放送)の撮影時には、すでに宇津井健さんの肺気腫が深刻で、6秒程度しか言葉を発せられない状態だったが、酸素マスクで何度も何度も息を整えながら鬼気迫る命懸けの撮影だった、という話です。
オンラインでも公開されています。
↓
http://www.news-postseven.com/archives/20140320_246933.html
これを受けて、例によってさっそくネット民がスレッドを立てて身勝手な書き込みを開始。
宇津井健の遺作にふさわしいのか、という話から、「渡鬼」というドラマの評価にまで話が及んでいます。
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1395267481/
現在、2ちゃんねるは転載禁止問題が話し合われている最中で、ニュースだの画像だのをかっぱらってスレをたてる2ちゃんねるが、いったいどこをヒネると「転載禁止」などと主張できるのかなという気もしますが、それはともかく、著作権法上問題のない程度に書き込みの一部を引用すると、たとえばこんな感じです。
「宇津井さんほどの芸歴の人が最後渡鬼というのも、ちょっと寂しい」
「こんな学芸会みたいなドラマに命かけるなんて、馬鹿みたいだ。」
「セリフでストーリーを説明して、更にナレーションまであるというのは、ドラマの脚本としてはどう考えても欠陥だと思う。しかも劇中で他人の人格攻撃は当たり前、衣装は固定、セットは安っぽくて照明は平板、とどこがいいんだかわからないドラマ。」
「馬鹿みたい」かどうかは措くとして、3つ目のドラマに対する批評は私も賛成できます。
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石井ふく子の世界も今風の「ながら」ドラマに変わっていた
石井ふく子プロデューサーは、連れ子だった自分の境遇や、母の結婚相手(ただし石井との養子縁組はせず)の俳優・伊志井寛への思いなどが原点となって、半生記以上にわたってホームドラマを作り続けてきました。
私はその姿勢には率直に敬意を表したいと思います。
しかし、昭和40年代に一世を風靡した平岩弓枝脚本の『肝っ玉母さん』や『ありがとう』と、橋田壽賀子脚本の『渡る世間は鬼ばかり』を、同じジャンルのものとして語る気にはなれません。
茶の間が死語になり、親子や兄弟の関係も以前とは変わってしまった現代における“ホームドラマ”としてはこんなもんかなあ、と思いつつも、書き込みにあるように、脚本の文芸的なセオリーが全く無視されている点が、ドラマとして高い評価をしづらい理由の1つかもしれません。
ところが、この少し後に、3つ目の書き込みに対するこんな“対抗言論”が書き込まれました。
「最初くだらないって思ったけど、主婦が家事しながら内容把握出来るように、ストーリー説明できると聞いて納得した
確かに凝ったドラマは映像で演出するから、かじりついて観ないと、理解出来ない
ながら視聴にはもってこい」
つまり、橋田壽賀子が下手くそかどうかの問題ではなく、現代のドラマのニーズ自体が、文芸的な価値はもう投げ捨てて、「ながら視聴」でもいいように説明偏重の構成を求めているということです。
テレビは平成に入ってつまらなくなったといわれ、私もこれまでいくつか原因を推理してきましたが、ここには新たな原因が書かれているわけです。なるほどなあと思いました。
私が子供の頃は、ビデオデッキも普及していませんでしたから、脳裏に焼き付けるしかなく、テレビを見るときは大げさではなく真剣勝負でした。
今は、録画できるから、本来はまじめに見たいものでも「ながら」で見ることはあります。
「ながら」で見られる、録画もできる、さすれば何が何でもリアルタイムに見たいという意識も失われるわけです。
けだし、こんにちのテレビは(まじめに見るという立場からすれば)質も落ちているし、視聴率も全般的に下がるわけです。
それにしても、宇津井健さんは、まだ映画界が元気だった1950年代に新東宝でデビューした人ですから、映画の斜陽も経験したし、テレビのホームドラマ全盛も経験しているわけです。そして、「ながら視聴」のドラマが遺作になった。
その間、一貫して「まじめに」俳優生活を送ってきたといわれますが、その移ろいをどんなふうに思いながら過ごしたのでしょうか。自伝の『克己心』を改めて読んでみたいと思います。
克己心(こっきしん)
- 作者: 宇津井 健
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2008/10
- メディア: 単行本
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