『魔太郎がくる!!』という漫画をご存知ですか。1970年代中盤に『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で連載されていた、藤子不二雄(A)の作品です。ジャンルとしては「サスペンスホラー漫画」になるそうです。今月10日から1ヶ月間、「Yahoo!ブックストア」の少年コミックページで「無料試し読み版」が公開されています。
『魔太郎がくる!!』が連載されていた『週刊少年チャンピオン』は、ラーメン屋さんでラーメン一杯注文して食べながらよく読んでいました。この作品と『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)が同誌では楽しみでしたね。
ストーリーは、見た目も冴えない内気ないじめられっ子・浦見魔太郎が、その性格や見た目ゆえに、様々な人物からつらい思いをさせられるものの、「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ」と念仏を唱えることから始まる「うらみ念法」で力を持ち、残虐な手段で復讐を図るものです。
『魔太郎がくる!!』はここで公開されています。パソコンでもスマホでも閲覧できるようです。
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魔太郎がくる!!
そのストーリーだけをきくと、時代劇の「必殺仕事人」のようなものを想像しますが、少なくとも『魔太郎がくる!!』は勧善懲悪とは言えません。
「ウラミ」の経緯ですが、主なパターンのひとつは、自分をいじめた相手に対して、誰かに相談するでもなく、されたことをきちんと報告するでもなく、むしろますます傷口を広げておいてからうらみます。
今のような、人権重視の時代でなくても、ちょっとこれってなすがままの魔太郎に責任はないの? と感じることも少なくありませんでした。
もうひとつは、魔太郎が恋焦がれている女性のカレシに対する逆恨み。しかもその女性には復讐しない。
これはもう論外というか、全く筋が通ってません(笑)
要するに、社会的に有益な懲らしめではなく、個人的な問題について自分勝手な「復讐」を行っているにすぎないのです。
しかも、その復讐がえげつない。具体的に書くのも憚られますが、殺人や死体遺棄で逮捕されるべきシーンも登場します。
ですから、魔太郎は、正義の味方でも弱者のためにたたかっているわけでもありません。
作者もそういう意図があったと思います。こんにちまでアニメ化されていません。
国民的アニメになんかなったら、そうした作品の持ち味が台無しですからね。
しかし、人気漫画ではありました。
なぜか。
人間は、自分が不快なことには、暴力だろうが理屈が成り立たなかろうが、とにかく力尽くでやり返して溜飲を下げたいという残酷なエゴイズムを持っているからだと思います。
人間の陰湿な面を描いたことがウケたということです。
まあそういう作品ですから、普通に見れば、怖くて暗い作品です。
でもそこには、人間の「負」の部分を、現実の規範や良心などに負けずに描き切った作者・藤子不二雄(A)氏のクリエーター魂があるわけで、私はそこに敬意を表したい。
これは、中沢啓治氏の『はだしのゲン』にもいえることですけどね。
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『ドラえもん』と何が違うのか
もうひとつ見ておきたいのは、魔太郎は「怨み念法」を復讐以外に悪用したり、善良な他者を無根拠に虐げたり、他人をあてにしたりはしていません。
それだけの力があるのなら、相手と一戦交える前に「念法」を色々使いまくって自己実現できるだろうと思うのですが、そのへんのけじめはちゃんとついています。
あくまでも、個人的な問題が起こった時のみ、個人的に相手を処理しているのです。
ところが、国民的な存在まで持ち上げられている藤子・F・不二雄氏の『ドラえもん』ののび太は、せっかくの未来の利器をしばしば悪用してトラブルを起こします。
あれも、十分にエゴだと思うのですが、無関係な人々まで巻き込む点に限っていえば、魔太郎なんかよりよほどタチがわるい。
しょせん漫画だから、といえばそれまでですが、私はどうも、そういうのび太の罪深いキャラクターに好感が持てません。
どっちが悪いか、なんて比較すべきことではありませんが、よく考えると『ドラえもん』って、個人的復讐なんか比べ物にならない大惨事をしでかす反社会的な要素が含まれていますよね。
でも、国民的アニメとして崇め奉られている。
一方で、『魔太郎がくる!!』はアニメ化すらされない(できない)。誰もが持っている「負」を具現するバイオレンス・ヒーローは決して表社会のヒーローにはなれない。
というか、原作のドラえもん自体、今のアニメとはテイストが大幅に違うんですけどね。
いずれにしても、“紙一重”のキャラクターなのに作風の違いがそれだけ明暗を分ける。リアルな人間社会を象徴しているようで面白いと思います。
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