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『プア充』は現実に生きる者を語っているか? [社会]

『プア充』(早川書房)。高収入を求めないからこそ得られる、豊かで幸せな毎日をそう名づけた島田裕巳氏の啓蒙書が話題になりました。「お金がなくてもやっていこう」という目先の倹約ややりくり指南ではなくて、もっと踏み込んで「お金がないからこそ幸せなんだ」と、生きていくための哲学を根底から見直そうというのが同書の特徴です。

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「プア充」の「プア」とは「poor」。つまり「貧しい」者の充実・充足という意味です。

同書は、「先生」と教え子の「西野」の会話を中心にした小説仕立てで「プア充」について語っています。

「先生」の教え子の「西野」が、上昇志向の強いベンチャー企業で心身をすり減らしながら働いていたのに倒産。「西野」は、「先生」から「プア充」の生き方を教わります。そして、これまでとは異なる価値観で新しい就職先と結婚相手を見つけ、心の余裕を持てる人生を過ごすようになります。さらに、最終章で、実は「先生」は島田裕巳氏だった、という“サプライズ”で終わります。

島田裕巳氏は、オウム真理教が話題になっていた頃、旬な文化人(宗教学者)としてメディアにひっぱりだこでしたが、オウム真理教の犯罪が明らかになってからも、その事実を後景に退け、宗教団体としての幻想を表明し続けたため批判を受け、とうとう職(大学教授)も失ってしまいました。

仕事を失ってお金はなくなったが、時間を得られて自分を取り戻したと同書には書かれています。

そこで、「お金のある生活」の虚しさとこわさ、「お金のない生活」から得られた“悟り”があったのは事実なのでしょう。

ただし、そのような過去を持っている人なので、「個」を語ることにおいてはともかく、社会性という点ではどうなのかな、という不安が同書にはありました。

そして読んでみた感想。結論から述べると、やはり個人の生き方としてはうなずけるところもあるのですが、社会性を軽視した宗教学者のユートピア論のそしりは免れないと思いました。

「プア充」とはこういうことである


まず、同書に書かれている「プア充」のまとめから、おもなものを抜粋します。

・稼げば稼ぐほど、お金への不安や欲望や執着は増す……収入が増えれば欲しいものも増える。いつまでも貯金はできず、満足できることはない

・国や企業の『成長使命』に、個人がふりまわされる必要はない……『成長しなければいけない』『稼がないといけない』という思想は、現代社会が作りだしている幻想である

・収入が増えればその分、支出も増える……収入は費やした労働と時間の対価。過度に費やすと、補うための無駄な支出が増える。また、車や持家、保険などの高額商品の誘惑が増える

・『生きやすさ』は数字では測れない。今の日本は、お金がなくても生きていける社会……日本社会は世界一安全で安心な社会。社会の恩恵をうまく利用すれば、ほとんどお金を使わなくても生きていくことができる

・お金を持つと危険が寄ってくる……心が汚れて悪いことをしたり、お金目当てに人が寄って来たりする

・プア充を支えるのは、人間関係と緑……人間関係の中で生きれば、お金はあまり必要ない。自分のお金を稼ぐことに夢中になると、人間関係を築く時間がなくなり、その先にあるのは孤独である

・人生を設計し、つじっまの合わない転職をしない……自分の生活や将来をきちんと計画して行動すべき。普遍性が高い職種に就き、キャリアと経験を積めば、仕事には困らない

・『待つ』ことが心に効く……たまにだからこそ、喜びや楽しみは倍増する。禁欲の解放は何倍もの喜びをもたらす。楽しいと感じることのできる心を養う必要がある

・『少欲知足』。限られた資金の中で、自前で楽しむ……欲を持ちすぎず、現在の状態に満足する。三つのポイント『外食をしない』『規則正しい生活をする』『ストレスをためない』

・孤独死は怖くない……言葉の負のイメージが先行しすぎている。孤独死への不安とは、そのような状況になりうる環境に対する不安にすぎない

・『人に迷惑をかけるな』というのは、豊かになって人が孤立し始めた現代の妄想。お互いに迷惑をかけ合ってこそ、人間関係が育まれる

・恩で成り立つ人間関係は、その先もずっと続く……借りた人は感謝をし、貸した人はずっと面倒を見る。お互いに良い人間関係がずっと続く。それこそが財産

「孤独死は怖くない」は大賛成


これらのうち、自分一人で完結する項目は、島田裕巳氏に言われなくても私はもう実践しています。

もともとお金がない人は、「プア充」も何も、そうせざるを得ないのですから。

たとえば、世界各国を旅行して、土地土地の豪華な料理を見せてくれる贅沢三昧。

そういうブログがあったとして、それはそれで一般的な価値はあると思いますが、私のような「プア充」的生き方をしている者からすると、申し訳ないけど、お金がかかっている割にはあまりピンときません。

そんな金があるのなら、ラーメンライスでも食べて、浮いたお金で、素敵な芝居や映画を見たり、ためになる本を読んだりしたほうが、私にはよほど豊かな生活だからです。

「孤独死は怖くない」も全く同感です。看取られて死に、大勢の人に見送らせる葬式をする人の気がしれません。たくさんの人が参列したら亡くなった人は生き返るのでしょうか。しょせん、人間なんて生まれるときも死ぬときもひとりなのです。

つまらない未練など残さないように、財産など持たず、ゼロで生まれたらゼロで生涯を終わればいいのです(もちろん家族のいる人は残された妻子の生活もありますが、要するに死ぬときを飾ることに価値を感じないという意味です)。

自分だけその気でも成立しない「机上の空論」の憾み


しかし、自分一人だけで解決しない「社会的なテーマ」になると、同書は全く説得力がありません。

同書も、森永卓郎氏のように「年収300万円」説を唱えていますが、これがまず疑問です。

この中身は、車を持つなとか、外食はするなとか、「見かけの贅沢」を否定した計算をしています。こういうのを机上の空論というのです。

以前書いたように、住む所や家族の事情で車を持つことが贅沢とは限らない場合もありますし、コストだけを見れば、外食というか中食のほうが安上がりなこともあります。

>>マイカーを持つと不条理な現実、では自動車は不要か?

「贅沢」の基準を紋切り型に決めつけている時点で、この書籍が生活感に乏しい、まじめに現実を見ていない絵空事の指南に見えてしまうのです。

島田裕巳氏の話は要するに、現代人は豊かだから持てるものの悩みがある、少し生活を落としてみろよ、という話なのですが、実は多くの庶民は「落とし」た生活で悲鳴をあげていることを理解していないように思います。

それから、「お互いに迷惑をかけ合ってこそ、人間関係が育まれる」。

ほんとに、これが通用したら楽ですけどね。

そこまで社会も人間も成熟してませんよね。現実は。

人間はいろいろな人がいますから、信頼関係を前提とした理屈が通用する人ばかりではありません。

「迷惑をかけない」というのは、多様な人間がいる中で、とにかく落ち度を作って文句を言われないようにする(信頼される)ため、守るべき社会人としての基本となる責任だと私は思っています

それを「妄想」呼ばわりするような生き方をしていたら、迷惑をかけた者勝ちの、それこそ他人のことを考えない嫌な世の中になってしまうでしょう。

私は、他人に幻想を抱くことはしないので、そんな不躾な世の中はゴメンです。

もちろん、こういう世の中ですから、「ない」ことから幸せを見出す生き方を提唱する「プア充」はひとつの見識だと思いますが、社会のみんながそうなったら世の中は終わりです。

無駄遣いを改め、経済成長右肩上がりの幻想からの脱却はもちろん必要ですが、現在の我が国が、「プア」を解決しなければならない政治的課題を抱えていることから目を背けてもいけません。

島田裕巳氏の意図や自覚がどこにあったとしても、そうした「政治の貧困」や「社会の未成熟」から目をそらす読み物にならないことを私は願っています。

プア充 ―高収入は、要らない―

プア充 ―高収入は、要らない―

  • 作者: 島田 裕巳
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2013/08/23
  • メディア: 単行本


タグ:島田裕巳
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