お墓の話、といったら“縁起が悪い”と思われますか。いつ来るかわからない、でもいつかはかならず来る最期をどうしたらいいのか、という「終活」が最近は地味に話題になりつつあるようです。今週発売の『週刊朝日』(12月6日号)には、「夫、子供がいても一人で集合墓に 人生の収穫期を迎えた女たちが“墓友”仲間と集うワケ」というタイトルの記事が掲載されています。
私の親類に、生きているうちに墓地を確保した方がいいという話をすると激怒する人がいます。
“縁起が悪い”というのです。そんなの死んでからでいいだろうと。
この記事をご覧の方にも、おられるかもしれませんね。
父を亡くした経験がある私に言わせていただくと、それは家族のために考えを改められたほうがいいかもしれません。
亡くなれば、はやくて2日後には荼毘に付しますが、その後お骨をどうするのでしょうか。居間に飾っておきますか?
私の父の先祖代々の墓は福島にあるのですが、私は福島在住ではないし、田舎の墓で土葬のところなので、父は生前から東京に別に墓を作るつもりでした。
でも作る前に突然亡くなってしまったので、しばらく檀家でもない近くのお寺にあずけることになったのですが、母子家庭ではお墓も作れず、貧乏人の質入れではありませんが、かなり長く預けることになってしまいました。
都営の墓地は競争率の高い抽選だし、都内は古くからの檀家でないと確保できないし、都心を離れた郊外の霊園は、同じ場所なのに時間の経過とともにどんどん永代使用料が値上がりするからです。
結局、東京を少し離れた宗派を問わない霊園に墓を作ることになったのですが、その経験からも、どうせいつかおさまるところなら、生前のうちに手を打ったほうが、コストの面からも精神的な面からも、そして残された家族のためにも望ましいことではないかと思います。
どうせ人間いつかは死ぬのに、縁起が悪いもへったくれもないのです。
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おひとりさまでも実家の墓には入らない
ということで、冒頭に書いた『週刊朝日』(12月6日号)の記事には、自分が亡くなったらどうするのか、そのお墓について、新しい選択を希望している人の話が書かれています。
たとえば、ひとつの墓を複数の人とシェアする集合墓、樹木の下に集う樹木葬などが紹介されています。
先祖代々の墓はもちろん、実家の墓も否定し、“墓の世界観”が一致する他人同士で一緒にお墓に入りたい、と希望する人々がいるという話です。
そうした墓友のサークルやNPO法人もあり、おひとりさまだけでなく、夫や子供がいても、そうした他人との共同の墓を希望する人もいるそうです。
「メンバーが集まるたびに必ず出たのが『最後が心配』という声。最後ってなにかといえば死とお墓の問題です。シングル女性は自分が入る墓もない人が多いし、実家の墓はあっても、そこには入りたくない。じゃ、みんなで一緒に入れるお墓を作っちゃおう、と」(女性だけの墓友NPO法人SSSネットワーク・松原惇子代表)
日本の法律は戦後、家制度から家族制度になりました。そしてさらに個人の権利を重視する方向にある。
墓の在り方がかわっていくのも、私は時代の必然だと思います。
私個人は別に墓友がほしいとは思わないので、父が入っている墓でもいいと思いますが、本人が希望するなら、入る墓は基本的に自由でいいんじゃないかと思います。
自由な共同墓が増えることで、先祖代々の墓はいずれ廃れるかもしれません。
でも私は、それによって墓守を背負わされる「星の下」の人も減るから、いいことだと思います。
私は長男ですが、先祖代々の墓を、生まれた時から守らなければならない星の下に生まれたことが大変に苦痛です。
これ、罰当たりな物言いでしょうか。
墓守をしたことのない人にはわからない話ですが、墓があると、たとえば誰が墓に入るかはいらないかで親戚で面倒な争いもあるのです。
○○家だの先祖がどうしただの、そんなことに縛られず、せっかくの人生は生まれた時から死ぬまで、さらには死んでからも自由な「星の下」であることが望ましいと私は思います。
みなさんは、将来のお墓、決めていますか。
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