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中村うさぎさんの体験談から「臨死体験」を考える [芸能]

中村うさぎさんが、先日心肺停止と報じられましたが回復。ブログで「死んだら無だ」と「臨死体験」を否定しました。臨死体験。客観的に存在するのでしょうか。さすがに実験はできません。そこで「体験談」頼みになるわけですが、2年前に心肺停止した私の妻も、中村うさぎさんと同じことを言っています。

wikiによると、「心停止の状態から蘇生した人の4~18%が臨死体験を報告する」とあります。

いかにも、少数の人にはあり得るような書き方ですが、これは肝心なところが曖昧です。

「臨死体験を報告」とありますが、その「体験」が間違いなく「心停止の状態」なのか、それとも「蘇生したとき」のものなのかが判然としません。

間違いなく「心停止の状態」なら「臨死体験」かもしれませんが、蘇生した状態なら、それはたんにレム睡眠中の夢と同じことです。

そして、心停止としても、それが通常の夢と客観的に違う、心停止時の独自のものかどうか。それを証明する医学的な信用に足る論文はあるのでしょうか。

もちろん、それはそれで、夢研究という固有の興趣はありますが、少なくとも、簡単に臨死体験といってしまうのはどうなんだろうと思います。

さて、一時は心肺停止状態におちいったとされる中村うさぎさんが、自らの「臨死体験」についてブログでこう書いています。
大きな光が迎えにきた!とか、川の向こうのお花畑で死んだおばあちゃんが『帰れ!』って言ったとか、いろいろ言うけど、あれ全部ウソよ。2回も臨死体験したあたしに言わせればね、死ぬって事は、コンピューターやモニターの電源を切るのと同じ。消した途端にブラックアウト。残念でしたー
http://takanashi.livedoor.biz/archives/65874267.htmlより)

つい最近も同じ話を聞いたことあったなあ、と思ったら、私の妻からでした。

妻は、中村うさぎさんよりも長い時間、心停止と意識混濁が続きましたが、その間の体験によると、

・お花畑など一度も見なかった
・いつからか、現実の生活環境をベースに、知っている人が次々出て、その人が順当な言葉を発したと思ったら急に想定しない行動を起こすなど、内在と荒唐無稽な妄想が繰り広げられた

……だそうです。後者は私たちが毎晩見る夢と全く同じ状態なんでしょうね。

レム睡眠というのは、脳は起きていて、知識の整理をしているときですね。

ですから、案外夢のなかに、その人にとっての真理が含まれていることもないわけではないと思います。

ただし、それが心停止の時から始まっていたのか、蘇生はしたけれど覚醒していない状態に見た夢なのかは私にも妻本人にもわかりません。

いずれにしても、臨死体験を信じている人は、こんな体験談では納得出来ないでしょう。

それだけでは臨死独自の体験がないとはいえない。心停止状態時の体験を忘れてしまっただけかもしれないだろう……と。

それは一理あります。

中村うさぎさんは、心停止イコール死という前提で書いているわけですね。

「心停止」のときに見たものの話をしているはずなのに、「死ぬって事」の話にすりかわっているのです。

でも、少なくとも脳死していなければ死んだことにはならないですよね。

だから、あまりあてにはならないのかもしれません。

先日も、女優の佳那晃子が「脳死からの生還」と報じられて「医学的にありえない」とバッシングされましたが、心停止と脳死は違いますし、脳が死んでいない以上、心停止でも夢は見るかもしれません。

ただ、臨死体験を求めている人の本音は、そういう話ではなくて、肉体と精神は別にあるという観念論の立場に立ちたいのではないかと思います。

つまり、体は死んでも精神は別っていう立場です。

要するに、医学ではなく哲学ですね。

なぜなら、「臨死体験」の中には、自分の体から抜けだして、心停止している自分を見た、なんていう「体験談」もあるぐらいですからね。

「死んだおばあちゃん」という中村うさぎさんの喩え話にも出てくるように、臨死体験の本質は、夢の内容云々ではなくて、肉体から精神が離脱して「あの世」とのハザマにいるのではないか、という世界観なわけです。

でも、意識(精神)は脳(身体・物質)によってつくられるもの、という唯物論の立場にたてば、それは受け入れられない見解です。

なぜなら、精神が肉体と別に存在するという観念論の理屈では、脳に起因する障害の説明がつかないからです。

たとえば、脳梗塞を患った人が情緒的にもろくなる、といわれますが、精神が肉体と別個にあるのなら、そんな後遺症は起こらないでしょう。

脳に障害を受けたから、認知や情緒機能に支障をきたすと考えるほうが合理的な推理だと思います。

つまり、おおもとに脳(物質・肉体)があるからこそ意識が生じるのです。

ですから、脳が死んだら、中村うさぎさんの言うとおり、「ブラックアウト」だと私も思います。

脳死まではいっていない“たんなる”心停止でも、少なくとも客観的に実在を確認できる「死んだおばあちゃん」が出てくることはないと思います。

ただ、内在や脳内知識の整理の具現として、「死んだおばあちゃん」が語りかける夢をみることは十分ありえると思います。

そして、夢のなかの「死んだおばあちゃん」が、その人にとって大変役に立つことを話してくれるかもしれないことも私は否定しません。

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