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半沢直樹、あまちゃん、評価で分かれる人生観!?

半沢直樹、あまちゃん、オリンピック。急上昇キーワードです。絶賛しないのは非国民ムードすら漂う昨今ですが、ちょっと待って下さい。『半沢直樹』は現実逃避、『あまちゃん』絶賛はキモすぎる、とはっきり異論を唱えているのは今月号の『BUNKAタブー』です。そこには、世の中の流行やムードにどう向き合うか、大きく見ればそんな人生観の違いが見えてくるようです。

bunkaタブー

『半沢直樹』は、経済ドラマを装っているが、実は少しも目新しいものではなく、『水戸黄門』を現代風にアレンジしているだけだろう、というのが同誌の意見です。

時代劇で正義の味方が悪人を叩き斬る。そのスカッとしたストーリーはまさに『半沢直樹』のモチーフだとして、『水戸黄門』とのキャスト対比表まで作っています。

bunka半澤直樹.png

時代劇の勧善懲悪や、悪人制裁を現代劇にした例では、『ザ・ハングマン』(1980~81年)というドラマが以前ありましたが、仕置きする人々の設定が現実的ではありませんでした。

一方『半沢直樹』は、大手銀行の中間管理職という、現実に存在する設定になっている点が違います。それだけに、時代劇よりもリアルなものとして感情移入しやすいのかもしれません。

しかし、同誌は、原作者の池井戸潤氏が、もともと「黒澤明監督の映画『用心棒』のような作品にしたかった」という企画意図も引いて、「勧善懲悪モノのベタな時代劇風現代劇が出来上がった」と同ドラマをまとめ、さらにドラマに熱中する視聴者に対して、次のように厳しく結んでいます。
自分の職場にある不満や鬱憤を半沢直樹が解決するのを見て、擬似的に発散されることで気持ちよくなっているだけですから! 何の解決にもなっていませんから!!
 そういった人間が結局は組織の論理に従って生き、中途半端に出世して、その地位を守るべく、不条理な論理を受け継ぎ、自分が受けたのと同じような不満や鬱憤を部下に与える。結果、部下も発散すべく勧善懲悪モノを見て、一旦は生き方を見つめ直すも、やっぱり組織の論理にまみれて生きていく。
 何かを忘れたいと酒を呑むように、勧善懲悪モノで現実逃避する人たち。それが人気ということは、腐った組織が世の中に溢れているということであるわけで、それこそ、いいんですか? 「半沢直樹を見て、それはダメだとわかっているんだけど……」。で、結果、再び半沢直樹を見て現実逃避してしまうループ。
 半沢直樹人気=日本経済の破滅を示唆することに、みなさん気付いてくださーい!!

『半沢直樹』ファンのみなさん。ご感想はいかがですか。

もうひとつ、『あまちゃん』についても、「『あまちゃん』を絶賛する人たちがキモすぎる」というタイトルで“国民的ブーム”に懐疑的な視点を投げかけています。

『あまちゃん』には、それまで朝ドラを見たこともなさそうな食い詰め文化人たちの歯の浮くような絶賛コメントが多い。褒め方が自己啓発セミナーのようで気持ち悪い。それは、(ドラマに出てくる)当時の芸能界やサブカル的小ネタを分かる「オレってスゴくない?」という自画自賛のアピールにも聞こえてくる、としたうえで、こうまとめています。
『あまちゃん』が面白いかどうかよりも、クドカンの小ネタを褒め、キョンキョンを再評価し、能年さんの透明感を愛でるというポイントさえふまえれば、どんなにキモチ悪いことを言ってもイケてる感じになっているのです。

要するに、昨今の『あまちゃん』絶賛とは、自分てちょっとイケてる、という自分自慢のブームに乗り遅れまいとする潮流ということですね。

ツイッターを見てると、たしかにすごいですよね。タレントや「文化人」たちの絶賛ツイート。

お前たち、批評はいいから、自分たちがスタッフなり役者なりの立場でそれだけの仕事しろよ、といいたくなりますもんね。

そうしたら、とうとう主演の能年玲奈ブログで、自作自演コメント疑惑までが取り沙汰されています。

作られたブーム。

ドラマの評価にかかわらず、そんな論評が出始めています。

……ということで、以下は私の意見。

『半沢直樹』ですが、私は、視聴者が「現実逃避」であったとしても、悪いことだとは思いません。

だったら、勧善懲悪ドラマは、現実社会で戦う“立派な”人間でないと見る資格が無いのか。そんな崇高なハードルを掲げられても困るでしょう。

『あまちゃん』にしても、見てて面白いと思えばそれでいいんじゃないでしょうか。

ただ、同誌の言わんとすることもよくわかるのです。

冷静に考えてみたら、実は言われているほどは大したことのないドラマなのに、なにか絶賛しないと流行遅れになってしまう、もっとはっきりいえば非国民のような後ろめたさを感じてしまう、そんな感情になっているかもしれない大衆を、現実に引き戻そうとしているのでしょう。

オリンピック国威発揚のムードを為政者が作ろうとしているこういう時期だからこそ、「ムードに流されやすい“衆愚”になるなよ」という同誌の警鐘は意義深いと思います。

衆愚と書きましたが、B層という表現も使われますね。

私の高校時代の同級生で、すごく成績の良い男がいたのです。

が、ン十年たち、彼の今の一番の関心事は、『あまちゃん』の最終回がどうなるかだそうです。

「おいおいおい、秀才が今や類型的B層かよ」と、私たち夫婦はその男にいったんは脱力しましたが、でも考えてみると、B層として生きるというのは、実はもっとも賢明な生き方かもしれないんですね。

何も、眉間にしわを寄せて社会矛盾を見つけ、悩み、戦うことが良い人生なのか。

批判精神、懐疑精神なんて疲れるだけじゃないのか。

そんなことより、難しいことは考えず、為政者には乗ってみよ、流行には沿ってみよ、で気楽に生きたほうがいいのではないか。

そういう生き方も、ひとつの見識だと思います。

人生は一度きりですから、後で後悔する「美学」や「志」など、少なくともその人にとっては価値の無い、というより有害なものです。

ま、私は、『あまちゃん』が最大の悩みみたいな平和ボケの生活、したくてもできませんけどね(笑)

いずれにしても、マスコミが仕掛けた国民的絶賛やブーム。あらがうにしても、流されるにしても、それは一体どういうものなのか、きちんと見極めるぐらいはしておきたいもの。

そのためにも、こうした「世間よ、ちょっと待てよ」という言論にいつも私は注目しています。



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