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マスコミの「不偏不党」「右も左も叩く」本当の意味 [マスコミ]

「週刊文春」今週号のトップは、「退陣勧告スクープ」と銘打ち、「野田佳彦総理の前後援会長である歯科医師が、社会保障費21億円を搾取していた、この男に「消費増税」を行う資格なし」という記事が出ています。

私は以前、このブログで、「週刊文春」は公約違反の増税やマニフェスト棚上げに舵を切った野田佳彦総理には、財務省にマインドコントロールされた言い分をそのまましゃべらせ、記事にしている。官僚帝国主義の保守国家を求めていることがはっきりとわかる、と書きました。

そこで、今週号の記事をご覧になって、「何を言ってるんだ、週刊文春は野田佳彦総理の叩き記事もちゃんと書いているではないか」と思われた方もおられるでしょう。

たしかに書かれています。

でも、昨日は参議院で公聴会日程も決まり、消費税増税法案が通るのは決定的です。

もしこれが、衆議院の採決前に掲載されれば話は別ですが、法案が通ることが決まってから、増税推進者に「退陣勧告スクープ」といっても、そんなものは、「ちゃんと書いている」ことにはなりません。

むしろ、これは、週刊文春が、「誰に対してもタブーなしに書き立てますよ。小沢一郎も叩くが、野田佳彦も叩いているのだから公平でしょう」というアリバイ作りとして書かれたものではないかと見ることもできます。

裏読みすれば、この記事は、自由民主党よ、消費税増税も決まったことだし、はやく民主党をお役ご免にして野田佳彦を引きずりおろせ、とハッパをかけているように見ることもできます。

ということで、今日のマスコミについての話は、マスコミの言う「中立」「不偏不党」の正体です。

マスコミはしばしば「不偏不党」とか、「右も左も叩く」といった言い方で、自らの中立公平さをアピールすることがあります。

これは、明らかに欺瞞です。昨日の言い方をすれば、マスコミの詐術はここから始まっています。

朝日新聞などは、自らの「綱領」にそれを明記しています。マスコミ機関として、何か勘違いをしているのではないでしょうか。

考えても見てください。国会は、与党がいて野党がいます。政権与党は多数派であり、政治をリードする側であり、それをチェックする野党とは立場が違います。

政治の責任を、与党と野党では同列には求められないはずです。野党の「反対の仕方」に論評すべきことがあったとしても、それは政府・与党の政権運営に対するものですから、おおもとの責任は政府・与党側にあります。

あまりいいたとえではないかも知れませんが、たとえば大人と子どもが喧嘩をすれば、大人が勝って当たり前だし、喧嘩の責任は大人が負うべきです。

大人と子どもを同列に叱るというのはおかしいでしょう。

にもかかわらず、そこに、「不偏不党」とか、「右も左も叩く」といった「中立」をうたうということは、大人と子どもが喧嘩をしているのに、「両成敗」してしまうことに等しいのです。

それは、権限、権力をもつ側の責任を免罪するだけでなく、結局、今の社会構造を何も変える気がない、ということです。

「不偏不党」「右も左も叩く」というのは、うわべの言葉と実態は違い、本質的には保守ジャーナリズムです。

もちろん、今の政治を是とする立場から、主に野党を批判する保守ジャーナリズムがあることを否定するわけではありません。ただ、その場合は、正々堂々と政府・与党側であることを旗幟鮮明にすべきです。

アリバイ的に、保守を峰打ちして不偏不党を装うのは、読者に対する欺瞞です。

たとえば、産経は保守・タカ派を隠そうとしないし、日刊ゲンダイはいつの間にか小沢一郎氏の応援団です。

それぞれ、旗幟鮮明でいいのではないでしょうか。(もちろん、個々の記事に間違いやアンフェアな点があればそれは大いに批判すべきです)。読者は、その中から自分の考えを深めればいいのです。

朝日新聞のような、大衆の左翼イメージに胡坐をかき、観念論的な体制批判らしきものを書きながら、実は消費税増税など根本的なところでは体制の一翼を担っている欺瞞がいちばん始末が悪いのです。

昨日も引用した「ジャーナリストとマスコミ」(大月書店)には、こう書いてあります。

「野次馬ジャーナリズム」を自称した大宅壮一氏は、「右も左も斬る」を標榜していたが、それは結局保守ジャーナリズムであり、案の定、「無思想人宣言」という「民主主義と左翼だけを斬る」ジャーナリズムとして完成した。

そして、それは戦後の多くのフリージャーナリストの手本となった。

さらに同書は、逆に「右も左も叩かない」ジャーナリズムもあるとし、その代表格に草柳大蔵氏を挙げています。

草柳氏は、自由民主党から日本共産党まで仲良くできる、フリージャーナリストとしては仕事がしやすいユーティリティプレーヤーだが、「叩かない」から、これも結局社会に何も訴えられない、つまり社会を変えないという点で、大宅壮一氏同様、保守ジャーナリズムであるとしています。

メディアが詐術と欺瞞で記事作りをする以上、そこではたらくジャーナリストたちもそうなってしまう、ということでしょうか。

松浦総三の仕事〈3〉ジャーナリストとマスコミ (1985年)

松浦総三の仕事〈3〉ジャーナリストとマスコミ (1985年)

  • 作者: 松浦 総三
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1985/01
  • メディア: -


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コメント 1

φ(・ω・)かきかき

いわゆるマスゴミと言うやつですね。
by φ(・ω・)かきかき (2012-07-27 04:44) 

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