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離婚するかしないかで最高裁まで争うこともある [芸能]

戦後史というか芸能史上に残る泥仕合離婚裁判、松野行秀と沢田亜矢子。現在は高嶋政伸と美元の離婚裁判が大きく報じられているが、一方が離婚に承諾しない離婚裁判というのは、おうおうにしてそんなものだ。

打算やエゴや思いこみなどが入り交じる、ある意味、人間の本性が現れる、第三者的にはこれほど面白困ったものはない。他人事ではあるが、人間の本性を見るヒューマンインタレストとして、この事件、もう1記事だけおつきあいをお願いしたい。

2000年6月27日、東京高裁で開かれた控訴審で鬼頭季郎裁判長は、「後腐れがないよう、円満離婚に向けた和解の話し合いをしたい」と、原告被告双方に和解を勧告した。

しかし、沢田亜矢子側の代理人は、「(2月22日の)判決以降、名誉毀損行為が続いている」と松野行秀側の行動に不満を募らせ、和解を諒としなかった。

具体的には、松野行秀が「地獄を見た男“沢田亜矢子の夫”のノボリを掲げながら人生相談を始めたり、新沢田亜矢子(現在は田代純子に戻している)とデュエット曲を発売したこと」などを指摘。

それに対して松野行秀は、「それを嫌がらせと言われても…。私も食べていかないといけない」と不敵な笑みを浮かべたという。

2000年9月26日に開かれた東京高裁の控訴審判決は、「夫婦関係の破たんは決定的」などと離婚を認めた一判決を支持し、松野行秀の請求は棄却された。

この日の法廷には、沢田亜矢子側代理人が出席。松野行秀側は本人も代理人も欠席だった。

離婚はどちらかに婚姻継続の意思がなければ成立する。それが泥仕合までやっていて高裁まで行くこと自体が奇妙なのである。

松野側は当初、「(裁判に)勝てない」と判断して上告する予定ではなかったが、松野がどうしても高裁の判決内容に納得いかないものがあるとして、何と最高裁に持ち込まれることになった。

だが、最高裁は2001年2月23日、松野側の上告を棄却した。2人は2月28日、正式に離婚する。松野は3月4日、東京・新宿のホストクラブで離婚についてこうコメントした。

「やっと終わったという感じです。裁判を続けたのは沢田と縁を戻したいのではなく、暴力や金の使い込みをしたという事実がないことを証明したかった」

沢田亜矢子の個人事務事務所マネージャーであった松野さんはこの間の騒動ですっかり有名人となり、一人のタレントとしてテレビにも出始めていた。

もともと離婚に対するわだかまりから始まった裁判だが、この頃になるとその問題とは別に、見られる立場として話題を提供するという意識も持ち始めていたのではないか。離婚訴訟後、身の上相談師、ホスト、歌手デビュー、再婚、整形、プロレスデビューなど、沢田亜矢子とも離婚とも全く関係ない話題を小刻みに提供し続け、スポーツ新開やワイドショーに貢献した。

離婚訴訟はいささか困った執念ではあったが、この奇妙ながんばりを第三者的にはどこか憎めないところがあった。

だが、今回の高嶋政伸と美元に対しては、同じような気持ちでみることはできない。

なぜだろうか。

平成の芸能裁判大全

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  • 出版社/メーカー: 鹿砦社
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