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高嶋政伸と美元の離婚裁判そっくりな「粘り」と壮絶DV [芸能]

戦後史上、もっとも壮絶な離婚裁判として語り継がれる沢田亜矢子・松野行秀夫婦の離婚問題は、98年1月18日、福島瑞穂ら2人の弁護士を引き連れた東京・虎ノ門のホテルオークラにおける緊急会見で本格的に注目されることとなった。

当日の、沢田亜矢子の証言が凄かった。子供が巻き込まれているため、高嶋政伸 美元の離婚裁判以上に重苦しいものである。

「あの人から『ぶっ殺すぞ』といわれ、髪を引っ張って引きずり回されたこともある」 「新幹線の中で皮を爪でえぐられたり、軟骨部分を絞りあげられたりしたこともあります。みんながいるところで私の髪の毛を引っ張って、ホームを引きずり回されたり…。腕をへし折ってやると、締め上げられながら通りを歩いたこともあります」 「『血を見るぞ』とか『ぶっ殺すぞ』とか鴨居にたすきをかけ『死ぬぞ』と脅かされたり、カミソリや包丁を日にしたことも度々あった」 「娘からは『お母さんがいない時、私がどんな思いで留守番をしているか。このままなら私が出ていく』といわれた」

1997年5月には、沢田亜矢子が東京家裁に離婚調停を申し立て、2月には松野行秀を事務所から解雇。12月25日には沢田名義の自宅から母娘2人で夜逃げ同然で飛び出したという。

「私も子供も憎悪と嫌悪感しか生まれてこなかった。結婚して幸せと思ったことは一度もなかった。地獄絵図のようだった」(沢田亜矢子)

それに対して、松野行秀は自宅近くの公園で報道陣にこうコメントした。

「夫婦ゲンカで押さえつけたことはあるが、能動的に暴力を振るったことはない」

「(娘にも)言葉で強く叱ったことはあるが、自分の子供以上に大事にしていた」

「(解雇は)弁護士から聞いたが、社長職を解かれて“ビラ”になったと聞いている(つまり、事務所と雇用関係にある)」
「沢田がなぜ、そういう会見を開いたのか分からない。今でも愛している」

つまり、沢田亜矢子は離婚したいが、松野行秀は「今でも愛している」から離婚したくない、ということである。

そこで泥沼の離婚裁判が始まるのだが、松野行秀のその後の態度を見ていると、決して「愛しているから」というようなものではなく、まさに泥仕合としかいいようのない展開となった。また、沢田亜矢子にも読み違いがあった。(続く)

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myway245

いっぷくさん! コメントありがとうございます!
現在社会の出来事をよく調べて詳しく情報を配信している内容に関心いたします。
今後も参考に見に行きますネ。
ところで、禁煙は順調ですか? がんばって挑戦して、目標を達成してください!
私はSKYのスッキリした味で騙された?のか実現できました。
応援していますネ・・・!
by myway245 (2012-06-05 13:08) 

えのみ

結局はふたりにしかわからないこともありますよね。
by えのみ (2012-06-06 02:06) 

いっぷく

myway245さん、コメントありがとうございます。
今はむしろ煙も苦手です。
近所ですってる人の煙が来ると家族の中で真っ先に気づきます。
逆に気にしすぎかもしれませんね。
by いっぷく (2012-06-06 08:22) 

いっぷく

えのみさん、コメントありがとうございます。
そうですね。離婚は所詮他人同士なので
親の扶養など肉親のデリケートな争いと違って
裁判でシステマチックに決めてもらうのもひとつの選択肢ですが
いずれにしても、泥仕合を世間に見せるのは理解を得られない
行為ですね
by いっぷく (2012-06-06 08:25) 

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