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高嶋政伸 美元だけではない泥沼離婚裁判 [芸能]

高嶋政伸と美元の離婚裁判が芸能マスコミに注目されています。好むと好まざるとに関わらず、私生活もいじられるのが芸能人ですが、ネットでは、美元のルーツが韓国人であることから、今回の美元の態度を韓国人の価値観や文化によるもの、と断定する意見が多い。

しかし、全国の家庭裁判所では、この程度の「粘り」を見せる離婚裁判など、日本人同士でもごろごろしています。いずれにしても、離婚というのが、いかにエネルギーを使うものか、考えさせられます。

たとえば、芸能界では沢田亜矢子・松野行秀夫婦の場合がそうでした。何とこの2人は離婚する、いや、しないで最高裁まで進んでいます。戦後史上もまれに見る泥仕合でした。今日からしばらく、この事件を振り返ってみます。
沢田&松野氏やっと離婚成立  女優・沢田亜矢子(52)と夫で元マネジャーの松野行秀氏(39)の離婚が正式に成立していたことが2月28日、分かった。松野氏が、昨年9月26日の離婚を認めた憂思高等裁判所の判決を不服として同年10月10日に最高裁判所に上告したが、最高裁は今年2月23日に上告棄却などの決定を下したため、正式に離婚が確定した。  沢田と松野氏の離婚裁判は1998年(平10)8月4日に東京地裁で口頭弁論がスタート。2000年2月22日に沢田の離婚が認められた。松野氏側は1審判決を不服として東京高裁に控訴したが、棄却されていた。  松野氏は体調不良で福島市内の病院に入院中。沢田はこの日、テレビのロケで栃木県へ出発。1日以降、何らかのコメントをするとみられる。(2001年3月1日更新の『スポ二チアネックス』から)

松野行秀こと松野さんと沢田亜矢子との出会いは94年6月頃といわれている。

沢田亜矢子が事務所移籍について、当時、東宝芸能のチーフマネジャーだった松野行秀に相談したことがきっかけで親しくなり、1995年5月に結婚。その後は沢田亜矢子の個人事務所を設立。松野行秀が社長となって沢田亜矢子のマネージメントを行っていた。

松野さんのプロポーズの言葉が「地獄の底までお付き合いします」。松野さんは泥沼離婚裁判において離婚を渋り、別の意味でこの言葉をきちっと守ったことになる。

1997年3月3日、マネージャーで夫でもある松野さんが立ち会っている東京・西新宿の東京ヒルトンホテルの会見場で、沢田亜矢子は、「売り言葉に買い言葉で、違う別々の道があるといってしまったことは事実」「別れも一つの選択肢」などといきなり離婚の意思を宣言したことに騒動は始まる。

このときはそれで収まったが、翌98年1月18日、沢田亜矢子はのちに社民党党首となる福島瑞穂ら2人の弁護士を引き連れて東京・虎ノ門のホテルオークラで緊急会見。今度は松野さんがいないこともあってか、恐怖の「拷問生活」とその際の心境を遠慮会釈なく暴露した。(続く)

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Hirosuke

結婚って、夫婦って、一体・・・。

by Hirosuke (2012-06-04 13:42) 

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