日系プロレスラーの話です。上の画像は、ミスター・フジとプロフェッサー・タナカです。WWWF世界タック選手権者チームです。WWWFというのは、現在全米のプロレステリトリーをほぼ手中におさめたニューヨークの団体、現称WWEです。当時、どちらも日系レスラーとしてリングに上っていましたがが、1人はギミック。つまり、プロレスラーとしてのキャラクターとして日系ということにしていました。さて、それはどちらでしょう。
答えは、プロフェッサー・タナカの方です。
ミスター・フジは、ハリー藤原といいます。
プロフェッサー・タナカは、本名をチャールズ・カラニ・ジュニアといい、ハワイ生まれのフィリピン系、ポリネシアン、ミンダナオ島、タイの山岳民族など出自は諸説ありますが、いずれにしても
日系人ではありません。
日系人が日本のリングに上った場合、日本陣営に入って外人と戦うか、外国陣営に入って日本人と戦うかは様々ですが、1度も日本陣営にたたなかった「日系レスラー」は、このプロフェッサー・タナカだけです。
プロレスは仕事であっても、そこは人間ですから、祖国では日本人側としてリングに立ちたいという気持ちを日系レスラーはみなもっているようです。
日本人の血が一滴も流れていないプロフェッサー・タナカには、それがなかったのでしょう。
ただし、プロフェッサー・タナカ、というリングネームは、よく考えると深い。
当時、移民の中で、どの姓がいちばん多かったかというと、実は田中なのです。
そして、プロフェッサー・タナカは、出身が「ヒロシマジャパン」と述べていましたが、日系移民の中で一番多いのは、実は広島県だったのです。
リングネームも、適当につけるのではなく、そこまでリサーチしていたわけです。
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日本での扱いは、同じWWWF世界タッグチャンピオンでも、プロフェッサー・タナカの方が、ミスター・フジよりも上でした。
ミスター・フジは、来日した時、1度も選手権試合に登場することはありませんでした。
しかし、プロフェッサー・タナカは、全日本プロレスに初来日して、いきなりジャイアント馬場のPWFヘビー級選手権に挑戦。
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馬場、怒りのポーズ!
続く国際プロレスへの来日は、日本リーグ争覇戦という優勝者を決めるリーグ戦でしたが、国際プロレスは初めてのリングであったにも関わらず、全日本プロレスのジャンボ鶴田に反則勝ちし、同団体のエースであるラッシャー木村と決勝を争いました。つまり、準優勝でした。
プロレスの世界というのは面白いですね。
日系人ではないのに日系レスラーを名乗り、それがいかにもという名前。
そして、来日実績もないのに、いきなりトップレスラーとして扱われる。
プロレスラーというのは、ギミック(キャラクターを決める物語)が大切なのだなと思います。
2012-06-01 21:01
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