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ドリカム、トップスターなりの苦悩 [芸能]

DREAM COME TRUE(ドリカム)のリーダー、中村正人が、「私事ながら、来年1月に小さな手術を必要とする箇所が見つかり(とはいえ、日常生活にはまったく問題ないとのこと)」手術を受けるために、今年の『紅白歌合戦』出場を辞退すると発表された。

新聞で紹介されたドリカムは2人。もちろんそれで間違いないのだが、かつてはこのユニット、もう一人いた。

02年12月19日付「朝日」夕刊、および翌日のスポーツ各紙では、「ドリームズ・カム・トゥルー」の元メンバー西川隆宏が、覚せい剤取締法違反(使用)の罪に問われた事件で、東京地裁(中島経太裁判長)が懲役1年6カ月執行猶予3年(求刑懲役1年6カ月)の有罪判決を言い渡したことを報じている。

ドリカムは、今年『紅白』に出場していれば15回目である。すなわち、実力は折り紙つき。しかも、デビュー当初からすんなりアルバムが売れたエリートスターであった。

「WONDER3」で100万枚、「The Swinging Star」は発売1カ月で200万枚突破。さらにドラマの主題歌になった「晴れたらいいね」は日本音楽界史上最高の365万枚を売り上げているのだ。

これだけ売れれば何の不平不満もないだろうと思いきや、少なくとも西川隆宏にとってそうではなかった。

西川隆宏は02年3月に、「あらためて、自分自身の音楽と生き方を追求していきたくなったため」という理由でグループを脱退。しかし、真相が必ずしもそうではなかった。

西川隆宏は、兄の稔夫婦とまずトラブルを起こす。脱退後、稔と新ユニットを組み音楽活動を続けることになったものの、予定されている日を過ぎてもCDが出ない。そのうち、何と西川が傷害で渋谷署に逮捕さてしまう。西川が稔の嫁(つまり義姉)を路上に突き倒すなどして首に2週間のけがを負わせてしまったのだ。

原因は、「(曲の)発売間近になり、弟の一方的な指示でジャケットの作曲者名が隆宏だけになっているのを知った」(稔)ことによるトラブルだという。

事件は不起訴になったが、その1週間後、今度は覚せい剤取締法違反(使用)で再び渋谷署に逮捕された

インタビューで、稔はこう語っている。

「弟は人と向き合うのが苦手な性格ですが、脱退して悔しい気持ちがあったなら、兄弟なんだから相談してほしかった。それで隆宏一人の名前にしても僕はかまわなかったのに、残念です……」(同)

兄弟のコミュニケーションすらきちんととれないぐらいだから、おそらくドリカムの中でも意志の疎通を図ることができなかったのだろう。脱退の最大の原因はそこにあったのではないだろうか。




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