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与党相乗り候補はここから激増した

統一地方選 1983,4,10

70年代の社共型は「社公合意」でくずれたが、大都市では東京と福岡が引き続き革新統一候補を擁立した。

東京では「明るい革新都政をつくる会」を日本社会党が抜けたため候補者選びはもめたが、新たに日本共産党や革自連(革新自由連合)なども参加した「平和と革新都民連合」が元毎日新聞政治部長、論説委員の松岡英夫を擁立。日本社会党ものった革新統一候補だったが、活動の出遅れから鈴木俊一が2選目を勝ち取った。

結果的に、戦後史上、東京では松岡英夫が最後の社共革新統一候補になった。

一方福岡では、現職の自公民ク推薦候補・亀井光が豪華知事公舎建設でミソをつけ、社共革自連推薦の奥田八二が亀井光の5選を阻止して初当選した。

奥田の場合は、3選時に同和問題で日本社会党・日本共産党の共闘が崩れたため、炭鉱の町で日本社会党が強い地域ながら、4度目の立候補はしなかった。

この選挙で公明、民社、新自由クラブは13都道府県で自由民主党と連合するなど、いっさい与党との対決を避けた。

日本社会党ですら、4府県で自由民主党と連合し、5県では候補擁立を見送った。すでにこの頃から、現在でも問題になっている「ねじれ」現象が起こっていた。

党派が競う総選挙と違い、首長選挙は複数の政党による相乗り自体はあり得ることである。

しかし、国会で明確な争点がある中で、いくら外交・防衛問題などと直接関係ない地方自治体選挙だからといって、与野党が曖昧で抽象的な「政策協定」を結んでオール与党化するのは、わかりにくいし議会運営上も好ましいこととはいえないだろう。
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