社会科教科書検定 1982,6,26
70年の「杉本判決」以来、比較的緩やかになったといわれた教科書検定だったが、この頃から再び検定が厳しくなり始めていた。
杉本判決というのは、教科書検定制度自体は合憲としたものの、家永裁判は検閲にあたり違憲であるとする戦後史上(教育史上)非常に重要な判決である。
家永三郎は、これによって民主教育家の象徴のように祭り上げられたが、たまたま教科書裁判の原告だったというだけで、家永三郎自身の評価については異論がある。
それはともかく、“教科書自治”が家永裁判で確立したかのように見られたが、ここにきてそうではなくなってきたということだ。
80年7月22日には、奥野誠亮法務大臣が「現在の教科書は、国を愛する気持ちを養う面が欠けているなど、たいへん問題がある」と閣議で発言。10月15日にも田中竜夫文部大臣が「現行教科書は愛国心の記述に問題がある」と衆議院文教委員会で答弁する。
翌81年1月23日には自民党党大会で「左翼偏向教育糾弾」の方針を決定。2月4日には民社党の塚本三郎書記長が「社会科の教科書はデモの写真ばかり」と衆議院予算委員会で批判。それらを受けて4月27日には教科書協会理事会が、使って1カ月もたたない中学校教科書の3年後「全面改定」を決定。
さらに6月5日には「教科書法」の制定を自由民主党が決定し、教科書の国定化方向性が強まっていった。
そしてこの日、25日の検定済み教科書についての記事解禁となり、検定の実態が明らかになった。
それによれば、日本の軍部の中国への「侵略」という表現を「進出」と書き換えさせたり、朝鮮の3,1独立運動を「暴動」と書かせたり、「暴行」「略奪」という言葉を何度も使わせないなど、今までにない改ざんがなされていた。
それに対し各マスコミは「押し寄せる『国定化』」(「朝日」)「戦時におう復古調」(「毎日」)など、歴史の偽造が軍国主義回帰、国家の教育支配につながることを懸念した。
これらは、国内だけでなく、中国や韓国などでも問題になった。韓国ではタクシーやレストランなどで「日本人客お断り」となり、中国は外務省を通じて抗議と検定の誤り是正を要求した。
この事件の背景には、
1.政府が戦前の過ちを反省していない
2.検定自体に好ましくない
3.検定過程の否公開
という問題点があるとされた(『教科書問題とは何か』山住正巳著より)
政府は8月26日に「政府見解」を発表して、外交上の問題はひとまずおさまった。しかし、検定制度そのもののあり方については何ら改善策は施されず、むしろ年々それは厳しくなっていった。
2010-11-27 21:00
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