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日米共同声明と園田直

鈴木ーレーガン日米共同声明 1981,5,4

「恒例行事」として、首相に就任した鈴木善幸は訪米。レーガン大統領との間で「日米共同声明」を発表した。

そこでは、初めて日米関係を「同盟」と認めたことが注目された。

鈴木善幸は、あらゆる「国際的挑戦」に対して、「西側の団結」をもってレーガン政権の世界戦略に同調することを表明した。

さらに鈴木善幸は、日本の「防衛」対象を「周辺海域数百カイリ、航路帯千カイリ」と防衛分担まで具体化する発言を行った。なお、この共同声明作成過程において鈴木善幸が不満の意を表し、外務大臣の園田直が辞任した。

園田直は、共同声明などセレモニーで拘束力はない、首脳会談の発言自体の方が意味があるという旨の発言をした。

園田直はもともと園田派を束ねていたが、1972年の総裁選で福田赳夫を支援。総裁選後は園田派を解消して、藤尾正行、白浜仁吉らと共に福田派入り。会長代行も務め、「三木おろし」でも活躍した。

その後、内閣官房長官に就任したが、外務大臣へ横滑りさせられたことを逆恨みして、その後の福田赳夫と大平正芳の「四十日抗争」では、大平に投票して福田派を除名された。

園田直はその後のサミットでも、総理大臣に同行する2人の大臣の座を巡って、通産大臣の田中六助と争った。

松谷天光光と熱愛したことでも知られる。何かと話題の多い政治家だった。

息子の園田博之も、無所属→自由民主党→さきがけ→自由民主党→立ち上がれ日本と、所属を都度都度かえてマスコミにはしばしば名前が出てくる。

コチラもご覧下さい
アメリカ大統領の動画です。
http://danjyoblog.blog89.fc2.com/blog-entry-262.html
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