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浜田幸一とばく事件

日本共産党第15回党大会 1980,2,26

日本社会党の「絶縁」が決まった中で、日本共産党第15回党大会が開かれた。

大会は、当然「決定的に右旋回した社会党」(宮本委員長)がテーマとなった。

しかし、同党は日本社会党との和解を待ちこがれる「待機主義」ではなく、革新三目標の達成を願う自覚的民主勢力とともに闘っていくことを決意すると発表した。

あわせて日本共産党、自覚的民主勢力による「革新統一懇談会」(革新懇)の結成を提唱した。この呼びかけに応じた人は多く、革新懇は必ずしも同党支持ではない人も含めて現在も活動を続けている。

浜田幸一とばく事件 1980,3,6

「仁侠議員」などともてはやされ、その言動が何かと話題になっていた自由民主党の浜田幸一衆議院議員が、73年当時、ラスベガスのカジノとばくで4億5千万円負け、それを「ロッキード事件」の被告、小佐野賢治に肩代わりしてもらっていたことが、東京地裁の「ロッキード公判」の中で明らかになった。

浜田幸一は離党し、議員も辞職することで国会の究明をうやむやにした。そして次の選挙では「みそぎ」と称して再立候補ー当選。その後は予算委員会の最もテレビ映りのいい席でヤジを飛ばし続け、予算委員長時代はテレビの放映時間を計算した上で「人殺し」呼ばわりを行うなど、およそモラルに欠ける議員生活を送った。

浜田幸一は引退後、準レギュラー出演していた「テレビタックル」という番組でも、例の如く浜田節でカジノの件にも触れたことはあるが、もちろん肝心なことは何も話していない。

ちなみに、同番組は浜田が出演していたために、日本共産党の議員は一切出演できなかった。

出したくても、浜田がああいう態度をとるからである。

さらに、社民党なども、名前は出さないが、およそ理論派とはいえない議員を出演させ、せっかく「政治を語る」番組でありながら、その質はあまり高いものとはいえなかった。

その後、同番組は浜田幸一と田嶋陽子を外し、日本共産党議員(当時)の小池晃が出たあたりから、きちんとした番組になっていったように思われる。
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