第2次大平内閣 1979,11,6
選挙で敗れた自由民主党は、またぞろ派閥同士の抗争が始まった。
大平正芳・田中角栄の両派が大平続投をめざし、福田赳夫・三木武夫・中曽根康弘の3派は福田赳夫復権に動いた。
対立はそのまま国会まで持ち越され、首相指名で同一政党から2人の投票が行われるという異例の事態に発展した。最終的には僅差で大平正芳が勝利し、第2次内閣を成立させた。
なお、過半数を割った自由民主党は、新自由クラブを閣僚のイス(文相)で巻き込もうと計画し(結局はつぶれる)、民社党は「分裂自民の一方の側との連合を主張、先を越されたくない公明党がそれを牽制する」(「読売」11月5日付)など、「大臣病」のドタバタ劇を国民の前にさらけ出した。
日ソ共産党関係正常化 1979,12,15
15年間、関係の冷えていた日ソ両共産党は、日本共産党側がブレジネフ代表団のソ連共産党を訪問し、日ソ共産党の関係回復が実現した。
かつてソ連側は、フルシチョフ時代に大国主義的な干渉・分裂策動を志賀義雄ら日本共産党の除名者を使って行った。
ソ連側がそれを詫びたことによって、干渉や分裂の策動が、民主主義の理念、国産共産主義運動にとって有害であることを確認した。この「確認」事態は意義のあるものだったが、ソ連はそれをその後の方針に反映せず、アフガニスタンへの不当な干渉・侵略という愚を後に繰り返した。]
そしてこんにち、ロシアになってもまた領土問題で揉めている。はたして今回はどう決着するのだろうか。民主党政権に決着をつけることはできるのだろうか。
2010-11-06 09:00
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