憲法調査会公聴会 1962,2,24
自由民主党は「憲法改正」を旗印とした政党だが、政治的手法としては解釈改憲をこのころから使い始める。
しかし、院外での憲法改正の高揚をあきらめたわけではなかった。そうした中で、この憲法調査会もあった。「公聴会」で憲法について語ってもらおうということだったが、実際には憲法改正の土俵で論叢を進めるというニュアンスが強かった。
同盟会議発足 1962,4,26
ライシャワーは、革新陣営の懐柔を狙って、手っとり早く反共右翼者民主義者を骨抜きにした。その表れとして、全日本労働組合会議(全労)、日本労働組合総同盟(総同盟)、全日本官公職労協議会(全官公)等から25の反共の労働組合(140万人)が集まり、「全日本労働総同盟組合会議」が結成された。これはのちの民社党系の同盟になる。
第6回参議院通常選挙 1962,7,1
第6回参議院通常選挙が行われた。
選挙の結果は、自由民主党69、日本社会党37、公明政治連盟9、民主社会党4、日本共産党3、参議院同志会2、無所属3だった。社・民・共の3党の議席は3分の1に満たなかった。
なお、この時はタレントの藤原あきが116万票をとって初当選。以後、タレント議員が毎回誕生することになる。
池田改造内閣 7,18
自由民主党党大会で総裁に再選された池田勇人は、内閣の改造に着手した。池田派の大平正芳(外務大臣)宮沢喜一(経済企画庁長官)等、同派の人材を多く登用し、佐藤栄作や三木武夫がはずされた。とりわけ佐藤派は池田派と険悪で、池田ー佐藤のツバぜりあいが続くことになる。
2010-09-08 06:00
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