日本社会党の江田三郎は、先(1960年)の総選挙で、革新側に何が足りないかということを考え、いわゆる階級政党としての革新性ではなく、構造改革論を打ち出すべきだと考えた。これも戦後史上、大きな出来事である。
江田三郎は党大会で書記長に当選すると、栃木県日光市で開かれた党の会議でさっそく「江田ビジョン」を発表した。その内容は
- アメリカの高い生活水準
- ソ連の徹底した社会保障
- イギリスの議会制民主主義
- 日本の平和憲法
の4点であった。
それを前提に、「ソ連、中国とは違った近代社会における社会主義のイメージを明確にする」とした。
だが、“日本の実態に配慮しながらいいとこどり”したような「ビジョン」には、とくに「左」から批判が出た。
たとえば、「徹底した社会保障」の確たる見通しはそこにはたっておらず、「議会制民主主義」を目指すことが社会主義と違うものであるかのように主張したのは、社会主義政党であるはずの自分の党に対する自己矛盾、もしくは党批判であることは否めなかったので、党内の理解も得られにくかった。
当然、党内左派はこれに反発。11月の第22回党大会で「江田ビジョン批判決議」にかけられ、232ー211で可決。
江田は書記長を辞任した。
それにしても、「批判決議」というのがすごい。党の公然とした査問会議のようだ(笑)
党と異なる発言や失言、党としての公式見解でない主張などは、どの党の幹部でもあるし、今の民主党もかなりそのへんはいい加減だが、さすがにここまでは徹底しないだろう。
江田路線は、後に社会民主連合という息子の江田五月が代表をつとめた小政党に引き継がれ、基本的に同じ路線の「新宣言」も、20年後に日本社会党自身の綱領的文書として登場する。
さらに、現在の菅直人政権が、曖昧ながらも述べている構想とも重なるものがある。
2010-09-09 07:00
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