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日本社会党第20回党大会 [戦後史]

日本社会党第20回党大会 1960,2,5

日本社会党はこの日から、河上丈太郎委員長ー江田三郎書記長の体制になり、「護憲・民主・中立」と「構造改革論」が決定された。後者については2月5日の中央執行委員会でだされたもので、統一戦線否定や、民主的規制なしに経済改良の積み重ねで改革はできるという「改良主義」だった。

これはイタリア共産党のトリアッチ路線を範とあおいだもので、社会党左派(協会派)からは「改良主義への危険性がある」と否定的にみられた。大衆運動は国民会議が事実上活動停止になり、活動は日本社会党の指導のもとで統合強化を目指すという、セクト主義に陥っていた。

これによって8月の原水爆禁止世界大会の準備過程で「日本原水協の一部執行部はイデオロギー的立場に立って非常にたかいスローガンや闘争目標を日本原水協に押しつけ」ているという「共同声明」を出して非難。運動に対立を持ち込んだ。これは63年の「原水禁」分裂につながる。

ライシャワー教授大使に着任 1960,4,19

前年11月。アメリカではケネデイ大統領が誕生した。ケネディの最大の特徴は、アイゼンハワーのような力による戦略ではなく、社会主義陣営の分裂から取り込みをはかるやり方だった。

そして従来の「ソ連封じ込め」ではなく「中国封じ込め」作戦の一環として知日派といわれるライシャワーを送り、日本との関係を都合の良いものにしようとした。

その中でライシャワーの役割は、革新勢力の分断=日本社会党・総評の右傾化だった。

彼らの一部幹部はアメリカに招待され、労組への懐柔も積極的にはかっていった。公労協をして「アメリカ帝国主義など、どこにもみつからなかった」といわしめ、「反帝・反アメリカ」の方針を修正させようとしたのである。これでいわゆる親米派の労組幹部、知識人が取り込まれた。
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nano

訪問nice!ありがとうございますm(__)m
by nano (2010-09-04 16:24) 

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