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浅沼稲次郎訪中 [戦後史]

自由民主党内の対立 12,27

各派閥の野合で成立している自由民主党は、この頃からお互いの利害関係から内紛が絶えなかった。

警職法の審議未了などスムーズな運営ができない岸信介内閣に対し、他の4派閥は次第に執行部批判の声を上げるようになった。すると岸信介首相は、総裁の任期切れの前に公選を行い、2年の猶予を作ってから党の立て直しをはかろうと考えた。

しかし、そうした私利的なやり方がさらに反主流派を怒らせ、池田勇人、三木武夫、灘尾弘吉ら3閣僚が辞任した。

自由民主党第6回党大会 1,24

閣僚辞任後の自由民主党大会は、ズバリ岸信介の再選なるかどうかだった。有力候補に松村謙三が立ち、選挙の結果は岸320、松村166、その他大野・吉田・佐藤・益谷らが各1票だった。

当時「合同以来の危機」といわれた自由民主党は、この岸信介再選で党内一本化を努力する旨表明。派閥の解消と安保改定の実現を目指した。

浅沼稲次郎訪中 3,9

日本社会党の浅沼稲次郎代議士は、使節団長として訪中。中国人民外交学会において「アメリカ帝国主義は日中両国人民共同の敵」と挨拶。

さらに17日には反帝勢力の発展や国交回復交渉の必要性、日米安保体制の打破、ひとつの中国、日中間の文化
交流など、数点について浅沼・張共同声明を行った。

だが、これが自由民主党で問題になった。自由民主党の福田赳夫幹事長は「この発言が事実なら遺憾。国際問題に対する言動を慎重に」という「警告」を行ってきた。日本社会党はそれに対し「非礼な党内干渉」といっしゅうした。これは2年後に「日中共同声明」という形で結実した。
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