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ビキニ水爆実験 [戦後史]

ビキニ水爆実験をご存知だろうか。文字通り、ビキニ環礁で行われた水爆実験だが、日本の第五福竜丸が、その実験で被爆をしている。今日は、広島に原爆が投下された日である。我が国では広島だけでなく、長崎までもが被曝した。すなわち、我が国は3度にわたって原水爆の被爆国となったのである。

ところがアメリカは、その悲劇にも核を封印しなかった。1年後の1946年7月、中部太平洋マ-シャル諸島のビキニ環礁で核実験を行った。以後13年間、ビキニ、エニウェトクの2つの環礁で66回もの核実験を実施している。

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◆1953/3/01 ビキニ水爆実験

冷戦構造がすでにできていたこの時期、アメリカはマーシャル群島ビキニ環礁で「ブラボー」と呼ぶ水爆の投下実験を行った。

その時、放射能が大量に付着した珊瑚礁の灰(いわゆる「死の灰」)が大気中に舞い上がり、200キロ離れた「危険区域外」で操業していたマグロ漁船の第五福竜丸に降下。13名の全乗組員が放射能症にかかり、9月には乗組員の1人、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。

第五福竜丸(映画)

また水揚げしたマグロ、サメ、サンマなどからも強度の放射能が検出され、放射能の恐ろしさと水爆実験への怒りが全国民に広がっていった。

この事件を機に原水爆禁止運動が全国に広がったのは言うまでもなく、署名は国内だけでも3000万人を超え、世界的には6億7000万人に達したといわれる。

だが、政府は安保条約による関係から「原水爆保持に協力し実験にも協力したい」という態度を示し、事件の法的責任を求めなかった。

時は流れて2010年7月20日の「時事通信」には、次のような記事も配信された。
カルテ写し16人分保管=研究施設に、元無線長も―第五福竜丸被ばく  米国が1954年に太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の元乗組員23人中16人のカルテの写しが、放射線医学総合研究所(千葉市)に保管されていることが19日、分かった。被ばくの半年後に亡くなり、昨年7月にカルテが確認された元無線長久保山愛吉さん=当時(40)=の写しもあった。元乗組員の診療記録の存在が大量に判明したのは初めて。  放医研は「貴重な資料で永久に保管する。今は元乗組員の定期検診で過去の病状との比較に使っているが、要請があればほかの被ばく診療にも役立てたい」としている。  第五福竜丸は54年3月1日、操業中に水爆実験に遭遇。強い放射能を帯びたサンゴ片の「死の灰」が降り、乗組員23人全員が被ばくした。  約2週間後に帰港した乗組員は、7人が東大付属病院、久保山さんら16人が国立東京第一病院(現・国立国際医療研究センター、東京都新宿区)に入院。久保山さんは9月23日、乗組員の中で最も早く死亡。現在9人が生存している。  放医研は、放射能研究の専門施設として57年に設立され、両病院を退院した元乗組員の診療を引き継いだ。当初から担当していた医師が退職したため、90年代半ばにカルテを捜した結果、東京第一病院に入院した16人分を国際医療研究センターで確認、原本のコピーを入手した。東大病院の7人分は今も不明という。  放医研によると、写しはB5判で1人1~2冊。退院までの体温の推移や白血球数の増減、肝機能の状態を表す黄疸(おうだん)指数、輸血時期などの検査データが詳細に記されている。データの質・量は原本と同じという。  久保山さんの死因をめぐっては、米国側が輸血起因の肝炎、日本側が被ばくによる放射能症と主張し対立。写しの表紙の診断名は全員が「放射能症」となっている。 


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コメント 2

MIKE

「ブラボー」 - これまたフザケた名前ですね。
「輸血起因の肝炎」:これまた凄い・屁理屈コキ:
平気でこんな事を主張していたんですかね・・

太平洋戦争が終わった後の事も、こうして教わる
につれ、「日本の戦後史」も散々だったと改めて
考えさせられます。

by MIKE (2010-08-06 19:16) 

おにちゃん

もう核廃絶か、わが国も核を保有する。この二者択一ですかね。
by おにちゃん (2010-08-06 20:09) 

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