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重光首班論 [戦後史]

◆1953/05/17 重光首班論

翌日に第16回特別国会を控え、左派社会党は第11回臨時大会を開いた。

ここでは過半数を割った吉田茂内閣の打倒がテーマとなり、高野実総評事務局長は、特別国会の首班指名で「反吉田」を理由に改進党の重光葵の指名を提案した。

当然労組側もその主張をしたが、左派社会党は、
  • 改進党は「反吉田」というだけで、実際には再軍備を考えている
  • 右派社会党の同調が得られない

などを理由にこの提案を採択しなかった。

少なくとも表向きは、再軍備に対して、左派だけでなく右派社会党も同調しない、という姿勢で革新側の筋を通そうとしたわけである。

ところが、日本共産党は、この提唱を支持するとともに、左派社会党の態度を「吉田内閣の成立を助ける分裂主義」と糾弾した。

のちに同党はこれを、「改進党にたいするあやまった評価と、社会党に対する打撃主義」(『日本共産党の六五年』)と自己批判している。

社民主要打撃論とはよく言ったものである。

現在でも、野党が共同して政権を打倒するという話があるが、では打倒したらどうするのか、という素朴な疑問が発生することがある。

理念のバラバラな野党が「反与党」のために無理に共同歩調をとっても、その先に与党政治にかわる青写真が描けないのではないだろうか。

首班指名選挙は、結局吉田茂・重光葵の決戦投票となったものの、左派社会党は全員が無効投票、右派社会党は場内棄権をしたため、第5次吉田茂内閣が成立した。
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