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マッカーサー解任(サンフランシスコ体制の51年) [戦後史]

◆1951/4/11 マッカーサー解任

国内では、全国講和愛国運動協議会の発足、日本社会党や総評、日教組の平和四原則の採択、沖縄のダレス講和条約案に反対する祖国復帰運動と左翼的な高揚が生じていき、国外では「国連軍」の北上が裏目に出て、北朝鮮軍と「中国人民志願軍」の反抗が本格化していた。

マッカーサーは戦局の打開から中国本土侵攻を主張したが、トルーマン大統領はソ連を刺激することを考慮し、その意見を退けた。

こうしたアメリカに逆風の事態が続く中で、トルーマン大統領はこの日、マッカーサーを更迭してリッジウェー中將を登用した。北上を続けたために中華人民共和国の参戦を招いたことで、詰め腹を切らされたのである。
マッカーサーはそのとき愛妻のジーンと共に、来日したウォーレン・マグナソン上院議員とノースウエスト航空のスターンズ社長と会食をしていた。副官のシドニー・ハフ大佐は、立ち上がったジーン夫人に解任のニュースを知らせ、「至急報」と書かれた茶封筒を渡し、夫人はまた、その茶封筒をマッカーサーに黙って渡した。内容を読み終えたマッカーサーはしばらく沈黙していたが、やがて夫人に向かってこう言ったと伝えられている。「ジーン、これで帰れるよ」。(wikiより)
トルーマン大統領が更迭を発令した5日後、マッカーサーは帰国した。

占領軍の総帥が構想を否定されて更迭されたことは、戦後史上、ひとつの大きな出来事である。
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