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下山事件(安保体制の始まり? 49年) [戦後史]

◆1949/7/5 下山事件

戦後史上最大のミスリーといっても良いかもしれない

この年の5,31に「定員法」が成立し、国鉄職員が3万700名整理された(第1次人員整理)。

国鉄労組は当然戦う姿勢を示したが、その翌日、総裁の下山定則が消息をたち、6日未明に常盤線綾瀬駅付近の線路上でれき死体で発見。

マスコミは左翼勢力に容疑をかけた。いわゆるフレームアップである。

この事件のために労働運動は出鼻をくじかれたかたちになる。

なお、事件は「他殺の疑いがある」(警視庁)としながらも決め手がなく、時効になっている。

1949年6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任したばかりの下山定則は、7月5日朝、午前8時20分頃に大田区上池台の自宅を公用車で出た。出勤途中、運転手に日本橋の三越に行くよう指示。三越に到着したものの開店前だったため、一旦、東京駅前に戻って千代田銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に立ち寄るなど、複雑なルートを辿った後で再度三越に戻った。そして午前9時37分頃、公用車から降りた下山は、「五分くらいだから待ってくれ」と運転手に告げ、急ぎ足で三越に入りそのまま消息を絶った。 普段、下山は午前9時前には国鉄本庁に出勤し、毎朝秘書が玄関に出迎えていた。失踪当日は、国鉄の人員整理をめぐり緊張した状況にあり、午前9時には重要な局長会議が予定されていたため、自宅に確認したところ「普段通り公用車で出た」との回答に国鉄庁内は大騒ぎとなり、警察に連絡。失踪事件として捜査が開始された。翌7月 6日午前0時30分過ぎに国鉄常磐線・北千住駅~綾瀬駅間で汽車に轢断された下山の遺体が発見された。(wikiより)


※フレームアップ [frame-up]
事件を捏造(ねつぞう)したり、犯人にしたてあげたりすること。でっち上げ。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/172490/m0u/%E3%81%B5%E3%82%8C/
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