◆1949/5/7 吉田茂 講和後も駐留を希望
時の宰相・吉田茂はロイター通信社記者に「講和後も米軍の駐留を希望」と語る。
いわばこれは、のちの単独「講和」、安保条約締結につながる戦後史上きわめて重要なコメントである。
その真意は諸説あるが、もっとも大きい理由は、すでにこの時点で吉田は改憲=自主憲法制定のプログラムがあり、そのためには米軍の駐留=日本の管理が必要と考えたことである。
たとえば、その後首相になった岸信介は「当時、吉田さんや私には、占領軍がいなくなると憲法改正が難しくなるから、日本の事情を理解しだしたマッカーサーがいるうちに憲法を改めよう、との考えがあった」(岸信介『憲法』第九号)と告白している。
米軍駐留が自主憲法制定に有利というのは、わかりにくいことだが、とにかくそのことで、吉田、岸という2人の保守政治家の見解が一致していたということである。
戦後の民主化は、政府にとって予想以上の成果があったということだろう。憲法草案提起の占領軍を憲法改正の援軍にするというのは奇妙にうつるが、米国の占領政策の転換が、それほど極端で急ピッチだったこともはしなくも示している。
※講和条約
日本と連合国との間で終戦が確認されたもの。
この条約によって正式に、連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した(第1条(b))。なお、第1条(a)にあるように国際法上ではこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされ、ポツダム宣言の受諾を表明した1945年8 月14日や国民向けラジオ放送を実施した8 月15日、降伏文書に署名した1945年9月 2日以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。(wikiより)
2010-06-26 06:00
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いっぷくさん、いつもniceありがとうございます!
ところで、左サイドの広告
ずっとSo-net広告だと思ってクリックしてましたが
よく見るとGoogleアドセンスだったんですね
お互い、がんばっていきましょう!
by muratp (2010-07-02 20:23)
コメントありがとうございました
がんばっていきましょう
そして
これからもよろしくお願い致します^^
by muratp (2010-10-18 21:11)