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団体等規制令(安保体制の始まり? 49年) [戦後史]

◆1949/4/4 団体等規制令

ドッジラインによって、企業では大幅な人員削減=「合理化」が余儀なくされていった。

戦後史上、初めてのリストラである。

これに対して、労働組合(産別会議)や日本共産党などが地域人民闘争で抵抗した。そうした左翼・民主的運動を取り締まる目的で「団体等規制令」が発効。

「平和や民主主義を守る」という大儀で、政党や団体の結成禁止・解散などを規定した。

この政令は、できたばかりの日本国憲法の精神や内容と両立しないのではないかという声もあったが、不合理な首切りがこうした「取締り」を公布せざるを得ない状況になっていた。

現代の私たちも、おりからの不況と、民主党政権の気まぐれで、同じようなことが起こらないとも限らない。

ポツダム政令の一。民主主義・平和主義の健全な育成のため、軍国主義的、極端な国家主義的、暴力主義的、反民主主義的な団体の結成および指導行為の禁止を目的としたもの。昭和24年(1949)制定、同27年に破壊活動防止法の制定により廃止。(デジタル大辞泉)


※ポツダム政令とは
ポツダム命令(ポツダムめいれい)とは、いわゆるポツダム緊急勅令に基づいて発せられた一群の命令の総称である。いわゆるポツダム勅令やポツダム政令は、ポツダム命令の一種である。

ポツダム命令の多くは、昭和27年(1952年)4月28日の日本国との平和条約(いわゆるサンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、ポツダム緊急勅令とともに、または暫定措置として発効の日から180日間限りで廃止されたが、新たに代替の法律が定められたものや法律としての効力を有するとの存続措置がとられたものもある。(wikiより)
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jun-ar

niceありがとうございます
by jun-ar (2010-06-24 06:18) 

まみ

nice!をありがとうございました。
by まみ (2010-06-24 08:31) 

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