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『運のいい人の法則』は、運がいいと自分が思っている人の法則? [生活]

運のいい人の法則

『運のいい人の法則』(リチャード・ワイズマン著、矢羽野薫翻訳、角川書店/角川グループパブリッシング)というベストセラーの書籍には、幸運と不運を隔てるものに着目した、「運のいい人」に共通する“4つの法則”が書かれています。そこで「運」に関心のある私が読んでみたのですが……



みなさんは、ご自身を、運がいいと思いますか。

私自身は全く思いません。

……という話を以前書いた時、

運は存在するのか

ある知り合いからお叱りを受けました。

弾が飛んで来る戦地ではなく、平和な日本に生まれた事自体幸運だろう

……と。

そのお考えは、平和に感謝する、健全なご意見であると思います。

ただお言葉を返すようですが、戦地に生まれても、自己実現して天寿をまっとうする人もいれば、せっかく平和な日本に生まれても、短命であったり、自分の実力を発揮できない“ほしのもと”であったりすることもあります。

もちろん、戦争があってもいいという意味ではありません。

ただ、戦争がなくても不運はある、ということです。

では、そもそも運の良い人、悪い人というのはどういう人を言うのでしょうか。

ということで、マジシャンから心理学者になったリチャード・ワイズマン博士が、「運のいい人」と「運の悪い人」にアンケート調査を行い、その結果わかった「運のいい人」に共通する“4つの法則”と、運は考え方と行動で変えられることを発表したのが、今回の『運のいい人の法則』という書籍です。

「運のいい人」は前向きで積極的で諦めない


本書の内容は、いろいろサイトを巡回すると、あちらこちらで引用・参考にされていますね。

運がよくなりたい、と思っている人がそれだけ多いということでしょうか。

結論から書きますと、本書の言う4つの法則というのは以下のことです。

1. チャンスを逃さず最大限に広げる
2. 勝負どころの決断を間違えない
3. 自分は運が良いと信じてあきらめず幸運を期待する
4. 不運なことがあってもポジティブな面を見て幸運に変える


要するに、「運のいい人」というのは、積極的で、前向きで、失敗をくよくよせず、持続力があるということのようです。

それに引き換え、運の悪い人は、悪いことだけ考えて消極的ということです。

けだし、トライする機会が多ければ、成功体験も多くなるわけです。

たとえば、3.ですと、運のいい人は毎日の出来事について「よかったこと」に焦点を当てるが、不運だと思う人は、「自身に起こったよい出来事は無視して、悪いことばかりに焦点を当てる」そうです。

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う~ん、そういうもんでしょうか。

発想を変えることで、前向きになれる場合はたしかにあるかもしれません。

でもそれは、「不運」の度合いにもよると思いますよ。

たとえば、交通事故で植物人間になってしまったら、ポジティブも、前向きもへったくれもないじゃありませんか。

もちろん、植物人間からの社会復帰という新たな目標で頑張るのはいいのですが、その人がその時点でオリンピック目指していたとしたら、もうその望みは絶たれてしまうわけです。

もっと不運なのは、死んじゃったらもう何もできません。

つまり、「不運」には再チャレンジができない場合もあるので、4つの法則というのは、再チャレンジできる「軽い不運」にしか当てはまらない、限られた話であるように私は思いました。

では、本書はいったい、何をもって「幸運」「不運」を決めているのか。

実は、そこにこそ、疑問を私は感じたのです。

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「運」は単なる主観なのか


よくできた面白い書籍だと思うのですが、同書の決定的な疑問は、考察の基本となる、何をもって「運が良い」「運が悪い」とするのか、という部分が、被験者の主観にすぎないということです。

つまり、同書は、たんに「運がいいと自分で思っている人」と「運が悪いと自分で思っている人」のアンケート調査の域を出ず、何をもって「運がいい(悪い)」といえるのか、また、なぜ「運がいい人」と「運が悪い人」がいるか、という命題について、何ら回答になっていないのです。

わかりやすく書きます。

どんな人がいつ、不運を経験するかはわかりません。

「私は運がいい」といくらポジティブシンキングに徹しようが、不運を経験するときはするんです。

そして、たとえば交通事故にあったとして、生還するか、死んだり植物人間になったりするかの明暗は、その人が「自分は運がいいと思う」人かどうかとは全く関係がありません。

少なくとも、関係があるという立証は本書では全く行われていません。

でも、「運(がいいか悪いか)」とは何か、という解明は、まさに、「どんな人がいつ、不運を経験するか」を解明することにこそあるのです。

しかも、その主観の対象(不運な出来事)にも客観的基準がありません。

先ほどの繰り返しになりますが、不運の程度によっても、前向きに捉えるか、否定的になるか、という反応が変わってくるはずです。

本人に責任のない不治の病、もらい事故、天変地異など、誰が見ても不運と認定できる出来事に客観的な基準を決めて、その程度ごとの不運の経験で、どのくらいの人が前向きにとらえ、どのくらいの人が否定的なにとらえたか、そしてその人たちの人生はどうであるのかを追跡するぐらいの精緻さがないと、たんなる自称幸運(不運)者のアンケートでは統計学的な意義を伴った調査とはいえません。

本書では、4つの法則の4.にかかれているように、同じ出来事を経験しても、人によってそれを「幸運」と思うか、「不運」と思うかの違いがあるといいます。

同書によると、「不運なことがあってもポジティブな面を見て幸運に変える」人は運がよい人で、「不運」とクヨクヨする人は運が悪くなるというのですが、これは、よく考えると、論理が逆立ちしているように思います。

つまり、もともと運がいい人は、ひとつやふたつ不運にあっても決定的な痛手ではない、野球で言えば、点差が開いた優勢で、打たれたとしても、そのランナーを返してもいいから、アウトを増やしていけばいい、という余裕のある人だから、「不幸中の幸い」の「幸い」だけを見ていられるのです。

少なくとも、「不幸中の幸い」の「幸い」だけを見たから運が良くなる、という論証はなされていないのです。

同じように、不運と考えるから運が悪くなるのではなくて、もともと運が悪い人は余裕が無いため、ささいな不運も受け止めるのにダメージが強く、嘆かざるを得ないのかもしれないのです。

あちゃー

もちろん、同書に書かれている調査自体を否定するということではなく、考え方や行動に採り入れたほうが良いことが多々あります。

ただ、やはりこれだけでは「運」を合理的に解明したとはいえず、「ほしのもと」や人生観など、複雑な要因によって成り立っていると思われる「運の良い」「運の悪い」について、さらなるアプローチが必要ではないかと思うのです。

ということで、結局、運(がいい、悪い)とはなんぞや、というテーマについては、本書を持ってしても結論は出ませんでした。

そうやってグズグズ考えている事自体が、運気を低下させているのかもしれませんが、また機会があれば、こうした分野の意見や情報について考えてみたいと思います。

運のいい人の法則 (角川文庫)

運のいい人の法則 (角川文庫)

  • 作者: リチャード・ワイズマン博士
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/10/25
  • メディア: 文庫


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