『家政婦は見た!』家政婦が流浪の相場師に心を許し大損した話 [懐かし映画・ドラマ]
丹波哲郎の祥月命日は9月24日。そこで、『家政婦は見た!華麗な一族の妖しい秘密 財テクゲームの危険な落とし穴』(1989年、大映テレビ/テレビ朝日)を見ました。家政婦は見た!シリーズ(全26作)の第7作目にあたります。丹波哲郎は、家政婦・信子(市原悦子)に好意を寄せる流浪の相場師役で出演しています。(劇中画像はDVDから)
丹波哲郎というと、私がテレビドラマや映画を観るようになってからは、権力者や「ボス」と呼ばれる立場を演じることが多かったように思います。
『キーハンター』(1968年4月6日~1973年4月7日)や、『Gメン'75』(1975年5月24日~1982年4月3日)などのドラマ、『仁義なき戦い 代理戦争』(1973年)での三代目組長役、『新幹線大爆破』(1975年)の警察庁刑事部長(いずれも東映)などがそうです。
Google検索画面より
また、ボスとは違いますが、『水滸伝』(1974年、国際放映)で主人公・林中の上司を演じ、『砂の器』(1974年、松竹)では、森田健作の先輩刑事役として出演したのも印象に残っています。
それらの役柄に共通しているのは、権威をかさにきた言動もなく、さりとて軽々しい理解で部下に迎合する「人情派」でもない、程よい洒落っ気もある、ある意味、模範的な「ボス」だったように思います。
丹波哲郎についてよくいわれるのは、普段も横柄である、セリフを覚えてこない、といったことですが、少なくとも「横柄」というのは、カメラがまわっていなくても「丹波哲郎」を演じていただけかもしれないと思います。
何しろ、自らが主宰した丹波道場では、若い人たちに対して、「芸能界で長く仕事をしたかったらケンカはするな」と教えていたそうですから。
実際は意外と腰の低い人だったのかもしれません。
ということで、「ボス」が多かった丹波哲郎が、めずらしく流浪の相場師として活躍した、『家政婦は見た!華麗な一族の妖しい秘密 財テクゲームの危険な落とし穴』を鑑賞しました。
一本独鈷の相場師に恋する家政婦
1989年といえば、まだ我が国はバブル崩壊前で、土地投機や財テクの話題がマスコミで取り沙汰されていた頃です。
代議士のリクルート事件もこの頃ですね。
そこで、石崎信子(市原悦子)が働いているところは、証券会社社長一家の自宅です。
先代夫人で社長の母親が南田洋子、息子である社長が清水章吾、元証券会社勤務の社長夫人が永島暎子、社長の妹が石井めぐみ、その恋人で代議士秘書が寺泉憲です。
一家は、バーのママ・涼子(田島令子)を通じて得た情報から、会社社長(長谷川明男)に、ある企業の株を大量に買い取らせ、社長は会社乗っ取り、一家は株価を上げて売り抜くという計画を立てていました。代議士秘書(寺泉憲)も関わっています。
そこへあらわれたのが、山川金三ことヤマキンさん(丹波哲郎)とその息子。
ヤマキンは、株価の動きから一家が何かを企んでいると感じ、息子と遊びに来たように見せかけ、ヤマキンの息子は社長の部屋から資料を調べていきます。
信子(市原悦子)は、ヤマキンに好意を持ち、ヤマキン父子と遊園地に行ったり、ヤマキンの勧めで、一家がターゲットとしている企業の株を300万も買ったりします。
そして株価は確かに急上昇。
しかし、ヤマキンと社長夫人(永島暎子)の関係を知った信子(市原悦子)は、狼狽して「株は売れ」というヤマキンのアドバイスを聞き逃し、売りどきを逸して大損します。
一家の計画で、買収しようとしていた企業が、すでに倒産を決めていたことをヤマキンは知っていたので、相場師の掟を破って、信子(市原悦子)に「株は売れ」と教えたのです。
が、いずれにしても自分とは住む世界が違うと、信子(市原悦子)はヤマキンとお別れします。
社長夫人(永島暎子)が、一家を裏切ってヤマキンに近づいたのは、機械で株価をたちどころに操作する一家のやり方は、大好きな株に対して人間味がない、という理由から。
こんにちのトレーダーに対する皮肉で終わっています。
その世界には詳しくありませんが、一本独鈷の相場師が、証券会社の社運をかけたプロジェクトを利用しながら最後にはすっと逃げてしまうことが本当にできるなら、けだし株の世界は面白いだろうなと思いました。
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