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『心配学』本当の確率と主観的な危機感との乖離 [(擬似)科学]

心配学

『心配学』(島崎敢、光文社)という書籍が話題です。人々の心配の深刻さと、実際の確率は乖離していることがある、ということが書かれています。たとえば、飛行機が落ちることを心配する人もいるけれど、実は車に乗って空港から自宅へ帰る間のほうが死ぬ確率は何倍も高い、というように……。



先日の日曜日の神奈川県川崎市大師公園では、お花見が行われていました。

川崎市大師公園のお花見

PM2.5の「矛盾」


このへんは、中国のとばっちりで汚染された福岡より以前に、それよりも高い数値のPM2.5が検出されました。

つまり、中国由来の福岡よりも、国産の川崎のほうが深刻なときがあったということです。

ところが、マスコミはなぜかあまり問題にせず、国民も中国の時ばかり騒ぎました。

中国産だろうが国産だろうが、PM2.5にかわりはないんですけどね。

なぜ国産は騒がず中国だけ騒ぐのか。

たしかに隣国の主張の一部には無茶な言い分もありますが、国民感情に便乗したマスコミの政治的意図を勘ぐらざるを得ません。

マスコミ報道はそういうものだということを国民は知るべきであるとともに、実際の数字と、人間の主観のいいかげんさの乖離もそんなところにあらわれているといえるでしょう。

PM2.5関東「上陸」のウソ・ホント

BSEについての「疑問」


羽田空港にアクセスする、東京大田区の京急線・京急蒲田駅が、3階建ての高架化されたのは以前書きました。

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京急蒲田駅高架化、万感胸に迫る思い

それ以来、駅周辺の再開発も進み、元地元民からすると、「こきたない」ことが魅力だった京急蒲田西口商店街「あすと」、土地の者の通称「のんべ横丁」は、すっかり綺麗になってしまいました。

あすと

その「あすと」の終点にあたる交差点に、新しく出来たのが「バーガーキング」。

バーガーキング

マクドナルドの凋落が著しい中でできた新店舗だけに、めったにハンバーガーショップには入らない私も入ってみました。

ただし、事前に原産地を調べて……(笑)

オーストラリア・ニュージーランド産でした。

ファーストフードはオーストラリア・ニュージーランド産、ファミリーレストランはアメリカ産が多いですね。

ところで、輸入牛肉で気になるのはBSE

私の主観では、福島の農産物を心配するぐらいなら、輸入牛肉(由来食品)はちゃんと管理できているのか、というほうがよほど気になります。

なぜなら、危険部位に関する認識が国によって若干異なるからです。

当時からそれはいわれていたはずですが、危機意識ばかり煽る一部の「脱原発」の人は、2011年以来、より新しい不安の方が大事らしいですね。

でも、原発は1ベクレルも許さないといわんばかりの無茶な防御論陣の一方で、他の食品関連のリスクは一切忘れてしまった(飽きてしまった?)「危機意識」というのは合理的ではありません。

ちなみに、『心配学』の著者・島崎敢氏によると、BSEに感染する確率は、2000年初め、当時のイギリスで、40万人に1人だったそうです。

要するに、著者から見れば、私の主観も「心配学」の対象というわけです。

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私たちが心配することはどのぐらいの確率なのか


ということで、前置きが長くなりましたが、『心配学』の著者・島崎敢氏は、本書でそうした大衆の心配の仕方の非合理さを指摘しています。

本文には、たとえばテロリストは、自らの破壊活動そのものによる成果よりも、人々に「心配」をもたらすことに狙いがあると述べています。
人々の「心配」こそがテロリストの狙いです。極端な話、テロリストたちにとって、テロは未遂に終わってもいいのです。「テロが起きるかもしれない」とみんなを心配な気持ちにさせるだけで、旅行がキャンセルされたり、街や空港のセキュリティ強化をしなければならなくなったりします。精神的打撃に加えて経済的打撃も与えられるのです。

つまり、過剰な心配は機会の損失という別のリスクを発生させてしまう、ということです。

だからこそ、合理的な判断を超えるような過剰な心配を見なおしてみませんか、という内容です。

『心配学』の著者・島崎敢氏は、『日刊ゲンダイ』(2016年3月30日付)に掲載されていた記事で、確率から人々に「大仰な心配」をさせないためのコメントを述べています。(「無差別テロ、交通事故、感染症……心配するかどうかは理性的に計算して判断する」というタイトルの記事)

参考までにそちらからも引用します。

「世界のテロによる死者は、自爆した実行犯を含めて年間3万人余りといわれます。一方で、交通事故の死者は世界で約130万人。現実にはテロよりも交通事故で死ぬ確率の方が高いのです」

「(中略)一般的にいえば、100万分の1以上は『気にする必要のない』数字。10万分の1以上は『気に留めてもいい程度』で、1万~10万分の1以下になると『国をあげて政策を立てる必要がある』。1万分の1を切ると『性急な対策が必要で、個人レベルでもお金を出してでも避けたい』数字になります」
 。
「警察庁の統計で、犯罪死亡者数を見ると2014年で357人(他殺)。総人口を1億2000万人として計算すると、およそ34万分の1人になります」(そう考えると、日本で殺人事件の被害者になることを心配する必要はない)

記事では、先ほどのBSEとともに、他の確率についても明らかにされています。

隣にいる女性がAV女優である確率……400人に1人
シートベルト着用して運転席にいた場合の死亡率……0.15%
シートベルト非着用で後部席にいた場合の死亡率……0.55%
BSEに感染する確率(2000年初め、当時のイギリスで)……40万人に1人
携帯電話を使用して脳腫瘍になる確率(年間)……133万分の1

ただし確率だけでは限界がある


もっとも、事象によっては、表面的な確率だけがすべてではないので、すべてを確率で判断するのも科学的ではありません。

たとえば、さきほどの例で、著者は交通事故とテロの比較をしていますが、テロは全世界的ではなく局所的に起こるものですから、全世界の交通事故の数字と比較するのは異なる条件の比較になっています。

BSEにしても、牛肉は食べない人、精肉だけを食べる人、危険部位の可能性を否定出来ない牛エキスなどを摂取する人、ズバリ脳などの危険部位そのものを食べる人などでは、リスクが全く違いますから、単純に人口数で「確率」を出すことには科学的には価値はあまりないと思います。

ただし、冒頭に書いたようなPM2.5の例なら、単純に数字で比較して、「こっちが多いのに、なんで少ない方を怖がるの?」という判断は有効です。

いずれにしても、「心配しすぎず、安心しすぎず」理性的に恐れるという態度が求められるという著者の結論には賛成です。

危機意識を過剰に喧伝するものも、それを隠蔽しようとするものにも与せず、冷静な判断を私たちは行いたいものです。

心配学 「本当の確率」となぜずれる? (光文社新書)

心配学 「本当の確率」となぜずれる? (光文社新書)

  • 作者: 島崎 敢
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/01/19
  • メディア: 新書


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