発達障害「注意欠陥障害(ADD)」であることを、5月25日に放送された『あさイチ』(NHK)で栗原類が告白したと『DMMニュース』が話題にしました。記事では、そこから「黒柳徹子も発達障害だった」という話に進んでいるのですが、私はそれよりも、記事について書き込む掲示板の方が気になりました。
記事では、黒柳徹子が2001年に出版した著書『小さいときから考えてきたこと』で、自分は読書障害と計算障害だったのでは、と書いていることを紹介。
「発達障害は“脳の個性”とも言われています。栗原は自分の個性を理解し、個性を発揮できる場所として芸能界を選んだのです。もちろん、その道で努力を重ねたからこそ、今の成功があるのに他ならないのです」(医療番組関係者)というきれいなコメントで結んでいます。
http://dmm-news.com/article/975295/
アサ芸プラス 2015.06.06 17:59
その立場の方々は、腹をたてるかもしれませんが、栗原類や黒柳徹子らは、発達障害としては軽症だと思います。
過日、大阪で、小学校低学年のお子さんが突然行方不明になって、近くの池で亡くなっていたニュースがありました。
ニュースは、亡くなったことや、その直接の原因しか報じられないので、すぐ、親や随行者が目を離したのが悪いという、通り一遍の批判大合唱となるのですが、発達障害の子どもを持つ親は、おそらくそれとは異なる感想を抱かれたことでしょう。
それに比べたら、テレビ出演をフツーにやっていける人は、軽症といっても……いいでしょう。
それにしても最近は、病気や障がいの“カミングアウト商法”が芸能界では流行しているようですね。
でも、とことん重症や、難病中の難病でもないのに、死の淵から這い上がったような話をしているのを見聞きすると、より深刻な人はどうしたらいいの、という複雑な気持ちになります。
もちろん、より重いかどうかは人により評価がかわることもあるし、もとより、どんな病気や怪我や障がいに対しても、その「克服」や社会復帰の告白を否定するものではありません。
ただ、今回の「注意欠陥障害(ADD)」にしても、重大な葛藤や、伝えるべき克服の道筋があるのならともかく、「個性」なら、わざわざ全国ネットのテレビで障害名まで告白する必要もないんじゃない? という気もしますが、でもその立場の方にとっては、やっぱり告白するほうがいいのかな。
まあそのへんは意見はそれぞれでしょうね。
「個性」の複線化をどう見るか
ところで、そのニュースについてコメントを書き込むweb掲示板では、興味深い書き込みがありました。
最近の発達認定の多さ見ると、しょーがいじを守るよりも健常児と隔離する政策なのかと思うね
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1433596989/
そういう見方もあるわけですね。
私の長男が、転居前に通っていた小学校は、少子化で、入学時は2クラスの確保がぎりぎりで、入学者がもう1~2人減っていたら1クラスになっていました。
ところが、そこは支援学級が4クラスあるんですね。
私の頃は、たとえば中学ですと、通常学級8クラスに「特殊学級」1クラスでした。
それからすると、確実に多くなっていると思います。
それは、支援学校や支援学級が市民権を得たという積極的な見方もできるのかもしれませんが、今までだったら通常学級だった生徒・児童が、支援学級認定に「されて」しまっている面もあるのではないかな、という気がしているのです。
もちろん、医学の発達による発達障害の精緻な診断を否定しているわけではありません。
ただ、「個性」に合わせた進路選択の複線化というのは、高次脳機能障害という中途障害の親の立場から見ると、必ずしもいいこととは言い切れないのです。
過剰な平準化は議論の余地があることを認めますが、健常児と障害児を分ける「分業化」は、絶対に悪いとはいいませんが、子どもよりも教員の引率の能率化を優先している面も否定しきれないからです。
ひと口に発達障害といっても、その状態は多様であり、社会への適応性も様々です。
ですから、その人たちが、すべて健常者の学級では不可で、支援学級、もしくは支援学校の方がいいとは限りません。
しかし、通常学級か、支援学級か、支援学校かの判定は、その時の状態で判断し、将来の伸びしろまでは見ません。
現在、通級指導教室や複籍制度などもありますが、たとえば支援学校から普通学級への変更が難しいのも現実なのです。
もとより、個性は「分け隔てる」ためのものではなく、お互いが尊重しあうためのものです。
それを、クラスメートとして経験するのも学校の役割ではないかと私は思います。
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