『28歳 意識不明1ヵ月からの生還ーみんなのおかげで』(内田啓一著、コモンズ)という書籍を読みました、宮崎日日新聞の記者が、突然、硬膜外、および硬膜下の出血で意識不明の重体になり、1ヶ月間の昏睡後、職場復帰した体験談です。
著者本人は、発症から覚醒までは意識を失っていたわけですが、周囲の人の話で裏付けながら、自分語りとしてまとめられています。
あらまし
夜討ち朝駆けの記者生活で疲労が蓄積した著者は、ある日突然尻餅をつき、頭を打ちます。
その日からすでに記憶を失い、翌日は出社も出来ません。
医学部助手の妻は、学会で出張していたため、同僚が著者の自宅を訪ね、失禁したまま泡を吹いて倒れているところを発見されます。
診断の結果、硬膜外出血。
緊急手術しますが、硬膜外出血が広範に進んでいただけでなく、硬膜下出血も見つかります。
医師からは、「助かっても植物症」の宣告。
書籍には、著者がまぶたも瞳孔も開いたままのため、湿った綿を眼にあてている生々しい写真も入っています。
しかし、1ヶ月の昏睡後、徐々に回復して、7ヶ月後に退院。1年後に職場復帰します。
右半身の麻痺、バランスの悪さ、右目と左目の像が合わない「複視」などの後遺症を残すも、克服に努力して自動車免許も更新。
自動車を運転できるということは、脳障害の後遺症としてありがちな「てんかん発作」がなかったのでしょう。
私の家族も一酸化炭素中毒だったので、頭部外傷などによる脳神経疾患の体験記は、これまでにも何冊かご紹介してきましたが、本書のような硬膜外、および硬膜下出血は初めてのケースです。
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著者の「明」と「暗」
本書によると、著者が一命を取り留めただけでなく、職場復帰できるまで回復できたのは、よりはやい発見にあったことが示唆されています。
夫婦が家を開けた時でも、寝る前にメールのやり取りをする習慣があったことと、同僚に発見された日が出社する予定だったことなどが幸いしたそうです。
著者の妻は、尻餅をついた日にメールのやり取りで、著者の記憶がとんだことを知り、翌日著者の会社に連絡を取りました。
そして、その日は本当は休日でしたが、新聞記者の勤務形態には休日出勤もあり、たまたまその日がそうで、同僚も出社していたのです。
全員揃って休みを取る会社だったら、著者の妻は同僚と連絡を取れず、同僚は著者の異常を発見できなかったかもしれなかったわけです。
もっとも、そもそも報道記者という激務でなければ、今回の脳神経疾患が発症したかどうかもわかりませんから、それをもって「幸運」と表現するのが妥当かどうかはわかりませんが。
本書の最後で、著者は、「体験に基づくアドバイス」を、看護する人に対して、および脳神経疾患になってしまった本人に対してと、それぞれ簡潔にまとめています。
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傷害を受けた人には「二次被害」があり得る
著者は、労災申請をしたものの、結果は「不支給」だったそうです。
労災が認められるのは、業務中で、かつクモ膜下出血や脳内出血のときだけだそうです。
著者の場合は、事故が起こったのが、業務中ではなく、繁華街で尻餅をついて頭を打った時に発生した可能性もある硬膜外、および硬膜下の出血のため、不支給だそうです。
どこで線引をするかという問題ですが、線引自体を行うことに疑問があります。
クモ膜下出血や脳内出血だろうが、硬膜外、および硬膜下の出血だろうが、重篤な脳への傷害であることに変わりはありません。
また、「尻餅をついて頭を打った時」の、そもそもの原因、つまり、めまいで「尻餅をつい」てしまった激務こそが労災そのものであり、過労の出方は様々ですから、業務中にでなかったから労災ではない、などという線引をするのはおかしいと私は思います。
以前書きましたが、私も、こういう「線引きの矛盾」を経験しました。
火災で気管支と肺をやられた私の妻の気道熱傷について、肺活量の数値がギリギリで正常値だったから、「後遺症はなし」とされました。
しかし、数値の基準は知りませんが、私の妻は、事故前は何でもなかったのに、現在は月に1度、気道熱傷の経過観察を行っているのはれっきとした事実です。
肺活量が減ったのも事故によるものです。
これを、後遺症と言わずに何と言ったら良いのでしょうか。
著者は、身体障害者手帳を申請してとれたそうです。
上肢五級、下肢四級。
しかし、7ヶ月もの入院ながら、知能・知覚に決定的な傷害はなく職場復帰できたようです。
私の長男は、3ヶ月目の診断で、上肢、下肢とも一級の植物人間でした。
そこで、車椅子を購入する関係で身体障害者手帳を申請したのですが、その2ヶ月後にトコトコ歩き出すと、その翌月には、もう身障者手帳の申請は却下されていました。
今も私の長男は、脳梗塞の後遺症のように、左腕を折りたたむ癖があるので、たとえば転倒した時にとっさに受け身を取れるのか心配なのですが、指や手や腕など個々の機能そのものは失われていないので、医学的福祉的には「無問題」扱いなのです。
こうした災難の経験がない方は、重篤なケガや病気で障害が残っても、「相応の福祉でカバーできるのではないか」と思われるかもしれませんね。
でも、「福祉の矛盾」という
二次被害も、傷害を受けたたいていの人は経験しているのです。
いつもと同じ結び方ですが……
確率としては、多くの方は、生涯でこうした不運・不幸にあうことはないでしょう。
が、誰がいつ、どこでこのような経験をするかはわかりません。
本書のような体験談を、頭の片隅にとどめておくことで、突如襲った、その「もしも」の時に、明暗を分ける「役に立つこと」があるかもしれません。
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